2015年07月24日

未来世紀ジパング|知られざる国「ドイツ」

未来世紀ジパング|知られざる国_ドイツ.jpg

未来世紀ジパング|知られざる国「ドイツ」


ドイツがいま、ヨーロッパそして世界の中で存在感を強めています。知っているようで知らないドイツの強さの秘密に迫ります。

点を結ぶ線の観光戦略

ロマンチック街道はドイツ南部のフュッセンから中部の街ヴュルツブルクまでのおよそ350キロを結ぶ観光街道です。観光名所を結ぶことで、点が線となりロマンチック街道は人気観光ルートとなっています。

日本人がはじめてロマンチック街道を知ったのは1976年、女性誌の「ノンノ」がはじめて特集を組んだことがきっかけでした。22ページにおよぶカラー特集は大反響を呼びました。そんな記事から40年経ったいまでは、ロマンチック街道は、ドイツ観光の代名詞となっています。

ロマンチック街道のネーミングは、1950年にドイツのジャーナリストたちによって考案されました。ドイツは第二次世界大戦後、ナチスのイメージで海外から悪くみられていました。なんとかイメージを変えるにはどうしたらよいかと考えた末に付けられたのがロマンチック街道という名前でした。

未来世紀ジパング|ドイツ観光戦略ロマンチック街道.jpg



旧東ドイツ”失われた街”ドレスデン

1945年2月、ドレスデンは、連合国から無差別の大爆撃を受けました。街は4日間燃え続け、8割以上が壊滅し、死者の数は2万人以上と言われていますが、詳細はいまだ不明です。それは東京大空襲の1ヶ月前の出来事でした。

ドレスデンの中心にそびえる聖母教会は、爆撃で瓦礫の山と化し、その後、45年間そのまま放置され、再建の話が進んだのは東西統一の後でした。工事は13年を経た2005年に完了し、いまでは、ドイツ統一と復興の象徴となっています。

未来世紀ジパング|ドレスデン.jpg


ウォルター・ランゲさん(91)
高級腕時計メーカーの4代目社長

高級腕時計メーカーのランゲ&ゾーネは、連合国軍の大爆撃により一夜にして全てを失い、社会主義体制のもと会社は国有化されました。会社からはランゲの看板が外され、国営時計工場のマークが掲げられました。

1989年11月、ベルリンの壁が崩壊し、ランゲさんはすぐにブランド復活に向けて動き出しました。15人の職人とともに時計作りをはじめるとかつての顧客が支援にかけつけました。そして1994年、ランゲ&ゾーネは華麗に復活し、世界中の時計ファンを熱狂させました。

未来世紀ジパング|ランゲ&ゾーネ復活劇.jpg



BMW|王者の戦略

高級車市場で販売台数トップのBMWは、7年ぶりに最高級モデルの7シリーズをフルモデルチェンジしました。その特徴のひとつがジェスチャー機能です。たとえば、社内の音楽の音量をパネルの前で指を右回りに回すと音量が大きくなり、逆に左回りに指を回すと音量が小さくなります。さらにリモコンの操作で車庫入れする自動操縦機能がついています。ドイツ本国では2015年秋に発売が予定されています。

豪華な新車発表会
世界各国の記者を集めて行われた新車発表会で振舞われたのはフランス料理のフルコースでした。新車発表会でここまでするメーカーはなかなかありません。記者の国籍ごとにテーブルが分かれており、各テーブルにはBMWの技術者が同席し、新車の技術を余すところなく披露します。

感動を呼ぶ納車式
ドイツ・ミュンヘンにあるBMW本社でコッセさん一家を招いて特別なサービスが行われていました。それは納車式でした。一般的に納車はディーラーから鍵を渡されて終わりですが、BMWは違います。お客が本社に出向き、車の機能の説明を受け、記念写真を撮りました。本社まで来た甲斐があったとコッセーさんは語ります。この納車式には1日80人ほどが訪れます。なかにははるばるアメリカやイタリアからもやってくる人もいます。"車を持つ感動を演出する"のもBMWの戦略のひとつです。

未来世紀ジパング|BMW王者の戦略.jpg



ブランドを支えるマイスター制度

自動車工場には必ず国が認めたマイスターがいます。BMW本社工場には、組み立て・塗装・電気系など500人のマイスターがいます。ドイツにはおよそ400の職種でマイスター制度があり、マイスターがいなければ開業できない職種が41もあります。ドイツの場合は、マイスターとして認められると職人が社会的に尊敬されるのです。

パンのマイスター
ミュンヘン郊外に110年続く老舗ベーカリーがあります。ベーカリーホフマンです。ドイツは1人あたりのパンの消費量が世界一で、お客は毎朝その日食べるパンを買いにやってきます。

お店を取り仕切るのは4代目店主のハインツ・ホフマンさんです。ホフマンさんは、この道40年のマイスターの資格を持つパン職人です。ドイツではマイスターでないと店を持つことができません。ホフマンさんの仕事は、パンの出来をチェックすることです。パンマイスターはいわばパンの番人だとホフマンさんは語ります。

ドイツのマイスター制度には、3つの階級があります。まずレアリングと言われる訓練生、そこから試験に合格するとゲゼレと呼ばれるプロの職人になります。そして頂点がマイスターです。マイスターの試験は、パン作りの技術や専門知識だけでなく、経営学・法律・教育学などに及びます。

パンのマイスターを目指す日本人
田中りささんは福岡で10年以上パン屋さんに勤めていましたが、マイスター制度に惹かれてドイツにやってきました。現在、ホフマンさんのお店で訓練生として働いています。

午前11時、りささんの仕事が終了します。りささんが暮らしているのは、お店の4階にある一部屋です。同じ店で働く日本人訓練生とルームシェアしています。りささんはドイツに来て3年目、1ヶ月後にゲゼレ試験を控えていました。実技試験では、7時間半をかけて10種類のパンを作ります。作る過程、味、見た目が審査対象となります。さらにドイツ語によるパンの知識を問う筆記試験があるのです。

未来世紀ジパング|マイスター制度.jpg



ドイツ流の働き方

ドイツと日本の年間ひとりあたりの労働時間を比べてみると、日本は約1735時間、ドイツ約1388時間となっています。ドイツは日本に比べ、25%短い労働時間にもかかわらず、労働生産性は45%高いのです。

しっかり働いてしっかり休む
不便な日曜日

ドイツには閉店法という法律があります。地域によって異なりますが、ミュンヘンでは日曜日は店を閉めなければならないのです。また、通常の営業時間も夜8時までと決められています。週末に店が閉まる生活に慣れている市民は、しっかり働いてしっかり休むのが当然だと語ります。

アディダスの社員の場合
サラリーマンのフィリップさんの1日のスタートは午前6時、ハードロックミュージックがかかるジムでのハードトレーニングから始まります。フィリップさんの勤務先は、世界的なスポーツ用品メーカーのアディダスです。

メールより電話
早くて正確

フレックスタイム制で毎朝大体8時30分に出勤するというフィリップさんの仕事は、サッカーの代表チームのサポートです。フィリップさんの仕事ぶりをみると絶えずどこかと電話でやり取りをしています。メールを使わない理由は、時間がかかり、行き違いが多いため、結局は直接電話で話すのが早くて正確だからだとフィリップさんは語ります。

ワークシェア
みんなで仕事を共有

フィリップさんが上司に提出したのは担当業務の一覧表でした。自分がいなかった場合、どんなことが起こるのかを上司に伝えていました。その理由は、フィリップさんが3ヶ月の長期休暇を取ることを予定していることにありました。彼女とバイクに乗ってポルトガルまで旅行に出かけるといいますが、長期休暇を取ること自体は、ドイツでは決して珍しいことではないといいます。ドイツでは連邦休暇法があり、有給休暇を取得する権利を保障して年間で最低24日間休みを与えなくてはいけないと決まっているのです。夕方5時半、フィリップさんはきっちり8時間で勤務を終えました。

労働生産性の歪み
いまドイツでは働く人を悩ませるある症候群があります。それが最近流行語になっているというバーンアウト(燃え尽き症候群)です。週末でも電話やメールで対応できてしまう環境がストレスになっています。

しっかり働いてしっかり休むという理想的と思えるドイツの労働環境ですが、バーンアウトの患者数は、7年前の10倍に増加しています。短い時間内で高い生産性を求められるため、より仕事をこなそうとしてしまうのです。ドイツ人は完璧でありたいと思う人が多いことが原因のひとつと考えられています。そこで、ドイツではバーンアウトを防ぐために、メール時間外禁止法の導入が検討されています。

未来世紀ジパング|ドイツ流働き方.jpg



ドイツ経済の好調の陰に

メルケル首相
2005年を境にドイツのGDPは右肩上がりに上昇し、一方で失業率が低下しています。これは2005年が、メルケル首相が就任した年であることと無関係ではありません。メルケル首相になって10年が経過しますが、いまだにその支持率は70%を超えています。

ユーロ導入
1999年のユーロ導入を境にドイツ経済は好調に転じました。ユーロの相場はかつてのドイツ通貨のマルクより低いため、輸出品は外国では割安のため好調な売れ行きとなっています。ドイツのGDPの40%が輸出産業のため経済の好調が続いているのです。

難民問題
ドイツでは経済が好調のため、新たな悩みが生じています。ドイツを求めてやってくる難民の数が2014年の2倍の40万に達するとみられています。ドイツでは生きていくための最低限の社会保障が受けられるという口コミを頼りに難民がやってくるのです。その多くは、シリアやアフガニスタンなどからやってくるイスラム系住民です。そのため、ドイツでは現在イスラム系の住人の数が400万人以上となっており、ドイツ全体の人口のおよそ5%を占めるまでになっています。

そんな状況をよく思わない勢力がドイツを騒然とさせています。ペギーダは2014年10月にドレスデンで誕生した難民の受け入れに反対する団体です。ベギーダは誕生以来、夜の散歩と称して毎週月曜日市街を行進し、その参加者一時2万5千人に達し、メルケル首相が警戒を呼びかける事態となりました。

未来世紀ジパング|ドイツ経済好調の陰に.jpg


ドイツと日本
戦後70年の節目の年

ドイツは、現在EUの中心国として、かつての宿敵フランスやドイツが侵略したポーランドとも関係を改善しています。そこにはあるきっかけとなった演説がありました。2015年1月に亡くなったドイツの元大統領のワイツゼッカー氏が1985年に行った「過去に目を閉ざす者は、現在についても盲目となるのです。」という演説でした。
posted by CYL at 12:56 | 未来世紀ジパング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月30日

未来世紀ジパング|知られざる親日国「ハンガリー」

未来世紀ジパング|ハンガリー.jpg



未来世紀ジパング
知られざる親日国|ハンガリー



未来世紀ジパング|ハンガリーデータ.jpg


天才国家
ノーベル賞受賞者が人口比において世界で最も多い国がハンガリーなのです。そして数々の発明品の陰にハンガリーがあります。それは、マッチ、ボールペン、炭酸水、コンピュータです。現在使われているコンピュータの99.9%は、ノイマン型となっています。また、ルービックキューブも1974年にハンガリー人のキュービックというひとが発明したものです。

ドナウの真珠
中央ヨーロッパに位置するハンガリーの首都ブダペストは、かつてハプスブルグ家が統治したオーストリア・ハンガリー帝国の中心地でした。ドナウ川の両岸に広がる歴史ある街並みは、その美しさから「ドナウの真珠」と称えられ世界遺産になっています。

「セーチェーニ鎖橋」のライトアップ

ドナウ川に架かるセーチェーニ鎖橋のライトアップ


ターミナル駅のブダペスト西駅は、エッフェル塔を設計したことで有名なギュスターヴ・エッフェルが帝国時代に設計した駅です。かつてはウィーンとブダペストをつなく鉄道が走っており、皇帝も使っていました。駅にはいまでも皇帝が使っていた貴賓室が残っています。

世界一美しいマクドナルド
そしてかつて皇后が使っていた貴賓室は、現在意外な使われ方をしています。それはマクドナ
ルドの店舗になっていました。”世界一美しいマクドナルド”といわれる店は、ハプスブルグ家最後の皇后エリザベートの貴賓室をそのまま使っています。

通貨|フォリント
マクドナルドで買い物をしてお釣りとしてもらったのが、ハンガリーの通貨「フォリント」でした。ハンガリーはEU(ヨーロッパ連合)の加盟国ですが、統一通貨のユーロを使用していません。

現地工場|日本企業
日清やブリヂストンなど現在ハンガリーに進出している日本企業は約150で、そのうちの46社がすでに現地に工場を持っています。その理由のひとつはハンガリーの地の利です。ヨーロッパの真ん中に位置するハンガリーは、輸出に好都合です。さらにハンガリーの教育水準の高さ、勤勉な労働力が比較的安く手に入ることです。そしてなんといっても親日国であることが理由に挙げられます。

ユニークな税金
ハンガリーはユニークな税金を導入したことでも話題となっています。たとえば、ポテトチップス税は、肥満防止対策として導入され、塩分の多い食品や糖分の多い清涼飲料水に課税されます。最終的には実現されませんでしたが、ネット通信1GBに対して課税するというインターネット税というものも検討されていました。国民の大反発を受けてデモが起こり結局廃案となりました。


未来世紀ジパング|ハンガリー共通点.jpg


日本との意外な共通点


共通点1|温泉
ブダペスト大学日本学科専攻のふたりの女子大生に連れられてやってきたのは、まるで宮殿のような豪華な建物でした。季節は5月、海水浴には早すぎると思いながらも、水着に着替えたふたりとともに向かったのはプールではなく、巨大な温泉施設「セーチェ二温泉」でした。一度に2000人以上が入浴できるといいます。ハンガリーには、約1300カ所に源泉がわく世界有数の温泉大国なのです。

共通点2|お辞儀・名前
また、お店で買い物をして会計をすませると店員さんがお辞儀をしました。ハンガリーにもお辞儀の習慣があるのです。そしてその店員さんが差し出し名刺をみると、名字が先で名前が後、日本と同じ名前の順番になっています。ヨーロッパでは、ハンガリーが唯一の国です。

その理由は、ハンガリー国立アカデミーに残されていました。ハンガリー人は歴史的にアジア系の言語を使ってきたといいます。それは中央アジアにいたひとが日本に渡り日本人に、ハンガリーに移動しハンガリー人になったというのです。つまり、日本人とハンガリー人のルーツは同じということです。

1000年以上前にアジアの草原からハンガリーへやってきた「マジャール人」という人々がハンガリー人の祖先です。その証拠に騎馬民族の象徴の移動式住居「ゲル」に13世紀頃まで住んでいたといいます。そして日本ではお馴染みの馬に乗って弓を射る「流鏑馬」は、ハンガリーでは国民的な競技としてお祭りなどで披露されています。

共通点3|伝統教材そろばん
日本人の男性が段ボール箱を肩に担いて訪れたのは、ブダペスト郊外の小学校でした。日本のある伝統教材がブダペストの小学校で使われているといいます。その教材とは「そろばん」です。ハンガリーでは300以上の公立小学校でそろばん教育が取り入れられているのです。25年前の東欧自由化の際に、教育の自由化が進み、その時、日本がそろばんを紹介したことがはじまりです。もともと数学教育が盛んだったハンガリーであっという間に広がりました。

しかし、教室で使われているそろばんをみると品質がとても悪いものでした。段ボールを担いでいた男性は、日本のそろばんメーカー「ダイイチ」の宮永社長でした。ダイイチは、兵庫県で100年以上にわたりそろばんを作り続ける老舗です。日本国内のそろばん需要が減り、全盛期の年間売り上げ350万丁売れたそろばんもいまでは15万丁に落ち込んでいました。宮永社長はハンガリーの話を聞きつけて売り込みにやってきたのです。

未来世紀ジパング|ヨーロッパビクニック計画.jpg


ベルリンの壁崩壊の陰にハンガリーあり

「ハンガリー人が、ドイツ人の「自由への意志」に翼を与え、ベルリンの壁を崩壊させたのです。」とドイツのメルケル首相が語りました。ベルリンの壁の崩壊といえば、東西冷戦の終結ですが、そのきっかけとなったのが、ハンガリーなのです。

1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊しました。それは東西冷戦の終わりを告げる歴史的瞬間でした。しかし、本当の意味で壁にヒビを入れたのはハンガリーです。


ハンガリー|民主化の波
オーストリアにほど近い小さな街、ハンガリー・ショプロンにあるのどかな公園の片隅に鉄条網があります。その場所で、ベルリンの壁の崩壊3ヶ月前にある事件が起こりました。

第2次世界大戦後、アメリカとソ連を中心とした東西冷戦に突入しました。ドイツではベルリンの壁が建設され、東ドイツの住人が西側に亡命しないように監視されていました。ところが、1989年東側諸国に民主化の波が押し寄せました。東側だったハンガリーは、いち早くオーストリアとの国境である鉄条網を撤去し始めました。

それを知った東ドイツの人々は、ハンガリーが自由化に踏み切るのではないかと一斉にハンガリーに押し寄せました。東ドイツからハンガリーを経由して西ドイツに亡命できるのではないかと考えたのです。


日本人女性|歴史の目撃者
そんな中、彼らを手助けしようと動いたひとがいました。その目撃者となったのは日本人の女性です。夫はハンガリーの映画監督でした。ハンガリーの大物政治家たちが女性宅に集まり秘密の計画を立てていました。

その計画とは「ヨーロッパピクニック計画」というものでした。ピクニックと称して、人々を国境に集めて、西側に逃がそうという計画でした。計画を知らせるために街中にポスターが貼られました。東ドイツの人にわかるようにドイツ語で書かれていました。合言葉は「鉄のカーテン」、8月19日計画決行と書かれていました。

計画当日、ショプロンの街の郊外に東ドイツからたくさんの人々が集まっていました。そして午後3時、ハンガリーが西側へ国境を解放しました。その後、ハンガリーがすべての国境を解放したため、それがベルリンの壁崩壊へと繋がっていったのです。

未来世紀ジパング|ヨーロッパビクニック計画.jpg


東側諸国|国際分業
ソ連の支配下にあった東側諸国では、国際分業が行われていました。ソ連、東ドイツ、チェコスロバキア、ポーランド、ルーマニアでは、自動車の生産を行い、ブルガリアでは、フォークリフトをつくり、ハンガリーではダンプカーのみを製造していました。ソ連が国際分業を進めた背景には、1つの国にすべての産業を与えてしまうと経済力がつきすぎて独立してしまうため、それを防ぐ狙いがありました。

スズキが愛される訳

はじめてのマイカー
23年前にハンガリーで初めて販売された車がスズキのスウィフトでした。当時、旧共産圏で広く流通していた旧ソ連製のラーダという車を乗っていたという男性は、車は配給制で色も形も選べなかったといいます。

共産時代が終わりはじめにハンバリーに進出してきたのが日本のスズキでした。真っ赤なスズキの車を買って一家で色々なところへ出かけたといいます。スズキが、マイカーの夢を叶えてくれたのです。

庶民向けの価格
ハンガリーの国民車となったスズキの魅力は、その価格にありました。欧米のメーカーの車は200万円を超えますが、スズキなら100万円台で手に入ります。

車づくりを一から伝授
また、スズキは自由化直後の1992年には生産拠点として工場を設立しました。最初は小さな規模からはじめ徐々に大きくしていきました。25年を経てエステルゴムにあるスズキの工場は、一時ハンガリーのGDPの5%を担った巨大な工場となっていました。ここでハンガリーに一から自動車づくりを教えたといいます。



食べられる国宝

ある農場に電気柵に守られ、黒い羊の毛のような長い毛で覆われた不思議な生き物がいました。マンガリッツァ豚と呼ばれるハンガリーの固有種です。そこに訪れていたのは「しゃぶしゃぶ温野菜」というしゃぶしゃぶのチェーン店を展開する日本の大手外食チェーン「レインズインターナショナル」の社員でした。しゃぶしゃぶ温野菜では、4年前から期間限定商品としてマンガリッツァ豚を提供しています。

マンガリッツァ豚は、スペインのイベリコ豚とルーツが同じとされている貴重な豚です。デリケートで飼育が難しいため、一時は198頭まで減少した幻の豚です。ハンガリーは2004年に国会でマンガリッツァ豚を「食べられる国宝」と認定し、手厚く保護し貴重な輸出産品とすることを国策としました。

豚一頭一頭に血統証があるというマンガリッツァ豚の特徴は、体温で溶けるほどの柔らかな脂身にありました。脂身の香りと甘みは普通の豚とはまったく違うといいます。しかし、まだマンガリッツァ豚の量を確保するのは難しいといいます。食肉加工場を覗いてみるとその訳がわかりました。

マンガリッツァ豚は、野生に近いため脂身のつき方に一頭一頭ばらつきがあるのです。そのため買い付けできるのは脂身が均一な中心部のみになってしまい量の確保が難しいのです。

posted by CYL at 16:03 | 未来世紀ジパング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月26日

未来世紀ジパング|アジア驚異の成長国ミャンマー(5)|アウン=サン=スーチー

未来世紀ジパング|タイトル アウン=サン=スーチー.jpg


未来世紀ジパング
アジア驚異の成長国ミャンマー
アウン=サン=スーチー



ミャンマーは、1962年から2011年まで軍事政権が統治していたため半世紀近く閉ざされてきました。

ミャンマー|アウン=サン=スーチー.jpg


アウン=サン=スーチーさんのいま

ミャンマーが軍事政権下にあった時代、民主化のリーダーであったのがアウン=サン=スーチーさんです。スーチーさんは軍事政権によって約15年間の自宅軟禁を強いられていました。

親友|自宅訪問
イギリス統治時代の風景がいまに残るヤンゴンに、スーチさんともっとも親しい日本人の宮下夏生さんがいました。大学時代にスーチーさんと出会い、いまも親友の中だといいます。ヤンゴン市内にあるスーチーさんの自宅はかつて軍が24時間監視し立ち入ることができませんでした。スーチーさんは生まれ育った家で、軍事政権によって長く軟禁されていました。宮下さんがスーチーさんに会うのは3ヶ月ぶりだといいます。通された部屋には、スーチーさんの父親アウン・サン将軍の肖像画が飾られていました。建国の父といわれるアウン・サン将軍は1947年に暗殺されました。

イギリス留学|民主化のリーダー
スーチーさんには、1985年から86年に京都大学に留学経験があります。スーチーさんはイギリスのオックスフォード大学に入学し、その後オックスフォード大学の教授だったマイケル・アリスさんと結婚し、二人の息子に恵まれました。宮下さんとはオックスフォード大学で知り合ったといいます。1988年、ミャンマーで広がった学生による民主化運動、そのリーダーとして白羽の矢が立ったのがスーチーさんでした。イギリスから戻ったスーチーさんが目にしたのは、街で銃をもった兵士たちと学生を弾圧する軍事政権でした。

ノーベル平和賞
スーチーさんが行った初演説(パゴダ前の集会(1988年8月))には50万人の人が集まりました。家族と離れ民主化の道を選んだスーチーさんに待ち構えていたのは、軍事政権による14年9ヶ月(1989-2010)にわたる自宅軟禁でした。1991年にはノーベル平和賞を受賞しましたが、スーチーさんは出国を許されず、二人の息子が授賞式に出席しました。夫は2000年にイギリスで他界し最後を看取ることはできませんでした。

激動の半生を支えた信念
「自分の人生に失望しそうになったり、自分に価値がないと感じた時には、他の人々に何をしてあげられるのか考えることが大事です。自分が手を差し伸べることで人生が大きく変わる人もいるのです。それが自分自身の生きる目標にもつながるはずです。」とスーチーさんは語ります。

激動の半生を支えた信念|アウン=サン=スーチー.jpg


移動図書館
解放が決まってスーチーさんを訪れた宮下さんが欲しいもの尋ねたところ、スーチーさんから返ってきたのは意外にも「移動図書館」という言葉でした。宮下さんはそれを実現すべく奔走し、日本企業が応じてくれたことにより現在移動図書館は実現しています。ミャンマーの子供達は、移動図書館の車がやってくるのを楽しみに待っています。本を手にした子供は「いままで知らなかったことがわかって嬉しい」と目を輝かせて笑顔で語ります。

スーチーさんは「若者にとって読書はとても大切です。私自身、人生の困難を乗り越えられたのも読書が大きな助けになったからです。国民がこれまで読書をしなかったのは、良質な本がなかったからです。」と語ります。


移動図書館|アウン=サン=スーチー.jpg


関連記事|アジア驚異の成長国ミャンマー


posted by CYL at 12:05 | 未来世紀ジパング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする