2015年12月23日

ガイアの夜明け|シリーズ働き方が変わる「知らない町で生きる」

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ガイアの夜明け|シリーズ働き方が変わる
「知らない町で生きる」



都会のシングルマザーが集まる町
島根県浜田市



仕事と子育ての両立
高齢化と人口減少で悩む多くの地方自治体が様々な方法で都会からの移住者を増やす取り組みを行っています。そんな中、シングルマザーやシングルファーザーといったひとり親の家庭をターゲットにして移住者を呼び込もうとしている町がありました。島根県西部にある人口およそ6万人の中核都市の浜田市です。

島根県浜田市では、総額約400万円の移住支援策を提供することで、仕事と子育ての両立で悩む都会のシングルマザーの移住を支援しています。第1弾として3家族ほど募集をしたところ150件の問い合わせがあったといいます。

浜田市の移住支援
・引っ越し代30万円
・家賃補助月2万円以内(1年間)
・中古車無償提供(20万円相当)
・給与 月15万円以上
・養育費 月3万円
・1年間勤めると奨励金100万円



就職先がある安心
浜田市にある介護施設では人手不足のため、高齢になっても介護職員として働き続けている人がたくさんいます。老人が老人を介護するいわゆる”老老介護”が現実に起こっているのです。

そこで浜田市は、移住したシングルマザー(ファーザー)に介護施設での就業を支援することで、介護施設の人手不足の解消と移住者の就職問題という2つの課題の解決を図られています。

子育て環境の充実
さらに都会では待機児童問題があるため、フルタイムで働くことができないことが多くあります。浜田市では、待機児童はゼロであるため、子供を預けて安心して働ける環境が整っています。さらに、浜田市では保育園、小学校、中学校が全て自宅からおよそ15分圏内にあるため、子育てには良い環境が整っているといいます。


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増える若い地方移住希望者
四国高知県の取り組み


地方への移住を支援するNPO法人によると、ここ数年、地方への移住希望が増えているといいます。2015年には年間の移住相談者数が1万人に達しました。相談者の内訳を見てみると20代、30代と働き盛りの人がおよそ半数を占めています。そのため、移住先での就職が大きな課題となっています。

そんな中、移住希望者の経験や能力に目をつけ、地元企業が必要とする人材をスカウトする取り組みが行わています。

特命チーム「移住・交流コンシェルジュ」
現在、高知県の人口は73万人ですが、ここ30年で10万人以上の人口減少しています。こうした現状になんとか歯止めをかけようと3年前、高知県知事の肝いりの移住専門のチームを立ち上げました。その名も「移住・交流コンシェルジュ」です。

地元企業が必要とする人材を調べ、移住希望者との橋渡しをするのが仕事です。移住専門チームが発足してから、高知県への移住者は、3年前の2012年度には225人でしたが、2014年度には652人へと増加しています。

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経験と能力を地元で発揮してもらう
高知県の中部にある中土佐町では、名古屋から移住してきた、元・セブンイレブンジャパンで店舗開発をしてきた30代の男性を地元の特産品などを売り出す地域外商マネージャーとして採用しました。月収はおよそ41万円。彼が任されたのは、町が生き残りをかけて現在建設が進めている道の駅の開発リーダーでした。

いわゆる”よそ者”だからこそ、気がつく町の魅力があるものです。彼は地元の人が見向きもしかなった魚を使って商品開発を行いました。さらに、地元の人には何気無い風景でも都会から来た人には新鮮に映る町の景色を見てもらおうと考えたのです。

このように、単に都会から地方に移住をしてもらうだけではなく、その人の能力を地元で生かしてもらうこと、それが単に移住ではなく、定住してもらうためには大切な要素となっているようです。


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posted by CYL at 10:06 | ガイアの夜明け | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年12月08日

ガイアの夜明け|よそ者は老舗を救えるか!?

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ガイアの夜明け|よそ者は老舗を救えるか!?



創業263年京都の老舗「たち吉」
人気”和食器”がピンチ



創業263年京都の老舗「たち吉」は、橘屋吉兵衛の名で1752年に京都の四条で創業しました。1955年頃には上質な和食器を売る店として人気となり、定期的に購入するファンが全国に約30万人いたといいます。1976年にはイタリアなど海外にあわせて16店舗を展開し、1992年には271億円を売り上げます。

ところがバブル崩壊後、高級な和食器が売れなくなりました。そこに安い中国製品が入ってきたため、対抗して低価格路線への転換した結果、昔からのたち吉ファンが離れ、次第に経営が悪化していきました。

ついに債務超過に陥り2015年2月、東京の投資ファンド「ニューホライズンキャピタル(NHC)」が支援に乗り出すこととなったのです。

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創業家の社長は退任
263年間の同族経営に終止符


たち吉ブランドの復活
よそ者による老舗の立て直しがはじまりました。創業家の社長は退任し、263年間続いた同族経営に終止符が打たれました。社員約300名はそのまま残り、新たに社長に渡邊信夫さん(66)が就任しました。渡邊社長が、まず打ち出した方針は、かつてのブランドイメージ「品がある、気が利く」の復活でした。社員達にかつてのたち吉が持っていたブランドの誇りを取り戻してほしいと考えていたのです。

そして、安物路線に走ったことで離れてしまったかつての客を取り戻すためまず行ったのが売り場から立て直しです。たち吉は、全国138の百貨店に売り場を持っています。

さらに、自社工場を持っていないたち吉は、食器などのデザインを考え、全国各地の窯元の職人たちに商品をつくってもらっています。そこでブランドイメージの復活のために、よりよい商品を提供するために、高度な技術をもった窯元へ新商品の開発を依頼したのです。

会社を再建したい想いは同じ
これまで苦労してきたたち吉の社員。一方、よそからやってきた渡邊新社長。どちらもかつてのたち吉ブランドを復活させて”会社を建て直したい”という想いは同じなのです。

posted by CYL at 23:50 | ガイアの夜明け | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年12月01日

ガイアの夜明け|庶民の味を確保する!サンマ

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ガイアの夜明け|庶民の味を確保する!



サンマ争奪戦!海の激戦

秋の味覚で1匹100円ほどで買えるサンマは庶民の味でもあります。そんなサンマが今年は記録的な不漁となっています。
これまでの漁獲量は昨年のおよそ半分です。なぜサンマがとれなくなったのでしょうか?

日本の近海は排他的経済水域とよばれ、日本の漁船だけが漁ができる海域です。一方、排他的経済水域の外側は、公海とよばれ、どの国にも属さない海です。

サンマは、例年、公海で育ち、北海道の北方四島あたりから千葉県の房総にむけて南下していきます。

しかし、今年は海流の変化によりサンマが沖(公海)の方へ移動しています。その沖合で盛んに漁をしているのが中国や台湾の漁船です。

これまで中国や台湾ではサンマは食されていませんでしたが、最近の和食人気もあって日本が漁をはじめる前の5月から大漁にサンマをとるようになっているのです。つまり、日本へサンマがやってくるまえに中国や台湾に捕られてしまっているのです。

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大船渡|鎌田水産
岩手県大船度市にある鎌田水産は4隻のサンマ漁船をもつ業界大手です。鎌田水産の売り上げの大半を占めるのはサンマ関連で、船と工場をあわせて100人を超える従業員を抱えているためサンマ漁の不漁は死活問題となっています。

公海へいざ出陣
鎌田水産のサンマ漁船は、日本の沿岸にサンマがいないため、北太平洋の公海の漁場を目指すことを決めました。公海は日本のサンマ漁船が行かないいわば未知の海です。サンマが獲れる保証は当然ありませんが、日本近海でサンマが獲れない以上、行くより他の道は残されていませんでした。

10月中旬、片道30時間をかけて漁場へ到着すると赤い光が無数に海上に広がっていました。赤い光は中国や台湾のサンマ漁船のものでした。漁船の数もさることながら船の大きさも日本の漁船の5倍ほどの大きさがあります。

幸い、2日間の漁の結果は、110トンと久々の大漁となりました。しかし、手放しでは喜べない状況があります。それは、中国や台湾の漁船が今後、同様に公海上でサンマを獲り続ければサンマがいなくなってしまうという懸念です。

日本の水産庁が動いた!
サンマはもはや日本だけがとっている魚ではなく国際的な資源として、日本の水産庁がサンマの資源管理に向けたルールづくりに乗り出しました。中国や台湾を交え、サンマ漁船数や漁獲量の制限を議論する北太平洋漁業委員会を設置したのです。

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2015年11月28日

ガイアの夜明け|町工場を継ぐ若き挑戦者たち

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ガイアの夜明け|町工場を継ぐ若き挑戦者たち



いま京都の町では伝統工芸の職人の後継者不足が大きな問題となっています。そんな中2013年からはじまった京都試作センターの若手職人育成制度に大きな期待が寄せられています。


京都試作センター|若手職人育成制度
伝統工芸の職人を目指す若者を京都試作センターが全国から募集します。跡継ぎのいない職人とマッチングさせて後継者を育成します。育成期間は半年から1年で、行政から月16万円の生活費が支給されます。2013年から始まったこの制度は約40人が利用しています。

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課題は?
この制度の大きな課題は行政からの月16万円の生活費の支給が打ち切れたときにあります。職人の世界では10年ほどの経験がないと一人前にはなれませんので、わずか1年ほど修行をしただけでは一人で食べていくことができないのです。また、伝統工芸を教える側にも人を雇うほどの余裕がないのが現状です。

商品作り&売り込み支援
課題を克服すべく京都試作センターが動きました。それは修行を終えた若者に学んだ伝統工芸の技を活かした商品作りの提案です。さらに提案だけにとどまらず、出てきた商品アイデアを販売店へ直接売り込みを行うのです。このように京都試作センターでは研修を終えたあとのサポート体制の充実が伝統工芸の職人育成には大切だと考えているのです。


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町工場の若き後継者たちの取り組み

昔ながらの町工場では横のつながりで仕事を分担するということがよくありました。そのためひとつの町工場の廃業は周囲の工場にとっても切実は問題となります。こうした状況を打破しようと立ち上がった若き経営者たちが金属加工の町工場が集まる通称”鉄の町”と呼ばれる大阪市九条にいました。

大阪市九条|てづくり工場組合結成
町工場の後継者たちは九条の町工場の技術を伝承するために5つの町工場が集まって「てづくり工場組合」を結成し、鉄の町九条を復活させようとしていました。

その取り組みの一つが、技術の伝承です。ベテランの職人の技を動画で記録することで技術を継承しようと考えました。さらに鉄道や船の部品メーカーを集めて町工場見学会を開催し、九条の町工場の技術を実際に体験してもらいました。その結果、後日、てづくり工場組合に嬉しい知らせがやってきました。実際に見学会に参加人から見積もりの依頼があったのです。

posted by CYL at 00:36 | ガイアの夜明け | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年11月11日

ガイアの夜明け|ご当地ブランド売り出します

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ガイアの夜明け|ご当地ブランド売り出します

生産者直売のれん会
東京都台東区にある生産者直売のれん会は、2007年創業の社員52人のベンチャー企業です。

のれん会では、東京に販路を持たない地方の商品の販売やブランド化を引き受けています。

小さなリスクで東京進出
会員となっている企業は全国に100社、月10万円の会費をのれん会に支払います。のれん会は各メーカーの商品を買い取り駅などで販売します。売れ残った商品は返品されないため、メーカーにとっては少ないリスクで東京に進出できる仕組みです。

食べ物を通じた地域興し
いま、のれん会が新たに取り組んでいるのは、地方の町に埋もれている特産品を発掘し町ごとブランド化をしていこうということです。


北海道三笠市の例
メロンで有名な北海道夕張市に隣接する三笠市をご存じの方は多くないことでしょう。

そんな三笠市の特産品は、三笠メロンにスイカですが、その知名度は低く、メロンとスイカは夏の短い間の3ヶ月ほどしか販売できないという弱点がありました。そのため、道の駅三笠の直売所では冬の季節は販売するものないという状況でした。

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そこで三笠市が相談を持ちかけたのがのれん会でした。のれん会では、全国の会員の中から三笠メロンを加工品として販売できるよう商品開発を依頼しました。加工品であれば通年で販売することが可能だからです。

その結果、三笠メロンを使ったクリームパン、アイスクリーム、チョコレートなど複数の加工食品が完成しました。町の力だけでは達成できなかったことをのれん会やその会員という外部の力を借りることで、それまで無名だった北海道三笠市が三笠メロンを使った商品を通じて全国にその名を知らしめることとなったのです。まさに特産品を発掘して町をブランド化するというのれん会のコンセプトが現実のものとなりました。



posted by CYL at 22:56 | ガイアの夜明け | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする