2015年07月31日

カンブリア宮殿|福島屋会長_福島徹(64)カンブリア宮殿|福島屋会長_福島徹(64)

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カンブリア宮殿|福島屋会長_福島徹(64)
日本全国の絶品商品に出会えるスーパー


年間120日
全国を飛び回る絶品ハンター

東京の羽村市にある1971年創業の福島屋は、普通のスーパーのようですが、並んでいる商品はみたことがないものばかりです。そんな商品を集める人物がいます。福島屋創業者で現在会長を務める福島徹さん(64)です。

福島さんは、知られざるうまいものを探すためにまずは地元のスーパーを訪れます。「地元の商品がおいてあり、買ってみて食べてみて、その中には輝くものがある」と語る福島さんは、年間120日にわたり全国の絶品商品を探して歩き回っているのです。つまり、東京の福島屋に並ぶ見たことのない商品は、福島さんが全国で見つけてきたいわば”宝の山”なのです。

東京の田舎町の福島屋は日本中の絶品に出会える幸せスーパーとして客を集め創業以来黒字経営を続けています。いまでは都心にも進出し、年商50億円を稼ぎ出すまでに成長しています。

料理講座「美味しい時間」
お店の食材をおいしく食べてもらうため、福島屋の各店でほぼ毎日開催されている料理講座「美味しい時間」は、受講料は1000円で、すぐに満員となる人気ぶりです。そんな講座を企画するのは、地元の主婦たちで結成された特命チーム「ミセス・プロズ・スマイルズ」です。

主婦によるお客目線を大切にする福島さんは「 ”お客様の専門”は主婦なので、売り場のレイアウトや商品選びを主婦に任せている」と語ります。

福島さんのあゆみ|お客目線の原点
主婦を利用して客目線を貫く福島さんの原点には、ある失敗がありました。東京青梅市に生まれた福島さんは、大学在学中に病弱な父親が経営していた酒屋を任されたのが、小売業の第一歩でした。

コンビニのような店から取り扱い品を増やし、1985年にスーパー福島屋を開業しました。しかし、絶対絶命の危機が訪れました。それが立川店での出来事でした。立川店は、1988年にはじめて地元を離れて出店した2号店でした。ところが、店をオープンしても客がまったく来ませんでした。

早朝の仕入れ
毎晩明け方まで陳列変更

そんな事態を打開するため、大手メーカーの人気商品を大量に仕入れ、1円でも安いものを仕入れるため、福島さんは奔走しました。しかし、売り上げは伸びませんでした。結果が出ないまま、毎日明け方まで陳列の見直しを行いました。

そんなことを数ヶ月続けるうちに福島さんの体は限界へと近づいていきました。借りたお金が返せないため、保険に入っていた福島さんは、死んでしまった方が楽だなという考えまで浮かぶようになっていました。

商品を意識した客のための店づくり
そんなある日、客のひとことが福島さんの心に刺さりました。「この前のメロンおいしかったわよ」満面の笑みで語りかけるお客の言葉を聞いた福島さんの体に電流が走りました。

自分はいかに商品をたくさん売るかしか考えていなかった、本当にあるべき姿は、客を幸せにする客のための店だと福島さんは気がつきました。そこから意識が商品へと向かうようになったのです。

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スライド上をクリックすると拡大します。

福島マジック
福島さんの新たな挑戦の場は、長年赤字に苦しんできた地方スーパー三桝屋にありました。三桝屋は福島さんに、売り場の改革を依頼したのです。

福島さんが力を入れるのは商品の絞り込みです。魅力の低い商品を400点以上削減し、陳列棚を撤去しました。そして新たな集客の目玉となったのが、全国の地方で愛される商品を集めたコーナー「津々浦々物語」です。きちんとした食品を作っているメーカーを紹介する企画です。

改革から1年、本当に客に薦めたい商品を揃えることで三桝屋は、10年ぶりに黒字となりました。三桝屋の社長は、「一番変わったところは、お客に自信を持って薦められる商品にしたこと」だと語ります。

一人勝ちの時代は終わった
中小ネットワーク

現在、福島さんが改革にかかわるスーパーは全国に30店舗以上あります。そんなつながりの中からいままでにないネットワークが生まれていました。その核となるのが、福島塾という勉強会です。全国の中小メーカーと地場スーパー30社が参加しています。福島さんが目指すのは大手スーパーとは一線を画するいわば中小ネットワークです。

福島屋が中心となって中小メーカーにアドバイスを行い、おいしさや安全にこだわった商品作りをサポートします。そして、できあがったオリジナル商品を中小ネットワークに参加する全国の地方スーパーが消費者に届ける仕組みです。


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ひらめきオススメ関連記事

上野アメ横に本店を構える二木の菓子は、関東近郊に17店舗を展開し年商50億円を誇ります。そんな二木の菓子の最大の特徴は、地方の中小メーカーがつくるいわゆる名もなき無名のお菓子の売り上げが全体の7割を占めているということです。地方のメーカーは優れた技術を持ち、素晴らしい商品が多いと二木専務は語ります。

二木の菓子では、大手の菓子も販売していますが、大手のお菓子は他店との価格競争になるので利益は少ないのです。一方で他にない地方の無名のお菓子は競争がない分、”適正価格”で売れるので利益も大きいのです。


経済学に「逆選択」という言葉があります。それは、情報の非対称性(売り手と買い手の情報の差異のこと。売り手は自分の商品だからよく知っているが、買い手は売り手ほどよく知らない状態)によって品質が良くても価格が高い商品が淘汰されてしまうことをいいます。つまり、商品の良さをわからずに安いものばかり消費者が買ってしまうと、本当によい商品が売れなくなり、市場からなくなってしまうのです。将来、安かろう悪かろうの商品しかなくなってしまう危険があるのです。その解決法がオイコノミア|お酒選びの経済学で紹介されています。
posted by CYL at 09:07 | カンブリア宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月24日

カンブリア宮殿|龍角散8代目社長_藤井隆太(55)

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カンブリア宮殿|龍角散再生の奇跡のドラマ
龍角散8代目社長_藤井隆太(55)



龍角散のルーツ

龍角散は明治4年(1871年)創業の製薬会社です。140年以上経ったいまでも創業の地である東京神田に本社を構えています。

龍角散のルーツは江戸時代にさかのぼります。江戸時代、秋田藩主の佐竹家の御典医(殿様に仕える医者)として、喘息だった殿様のために龍角散という薬を調合したのが創業家の藤井家の祖先でした。

音楽家志望から家業へ

藤井さんは、高校・大学と音楽の名門桐朋学園で学びました。フランス留学中にはコンクールで優勝した経験もあり、そのままプロになるつもりでしたが、家業を継ぐために夢を断念しました。帰国後は、武者修行のため他の製薬会社などに勤めていましたが、1995年に父が病に倒れ、35歳の若さで急遽社長に就任することになりました。

倒産危機

当時龍角散の販売数は年々減少の道を辿っていました。小さな匙ですくって飲むスタイルが時代にそぐわず、年商40億円の時代に、40億円の負債を抱え倒産寸前でした。藤井さんは窮状を訴えますが、古参の幹部にまったく危機感はありませんでした。

藤井改革|原点回帰

龍角散の顆粒タイプの発売
泥縄式に出した新商品はことごとく失敗し、そこで藤井さんが行ったことは、のどの専門という原点に立ち返ることでした。そのひとつが会社のルーツともいえる龍角散の見直しでした。匙ですくって飲むタイプとは別に袋に一回分を入れた顆粒タイプを発売しました。

キャッチフレーズ変更
龍角散のCMでおなじみのキャッチフレーズ「ゴホンといえば龍角散」は、風邪をイメージさせるとして、「のど、直接、うるおう」とキャッチフレーズを変更しました。すると風邪が流行る冬だけでなく、のどを守る薬として通年売れる商品へと変わりました。

新商品開発
さらに世界初の商品「服薬ゼリー」の開発に成功しました。服薬ゼリーは、薬を飲むための補助の役割を果たす商品です。薬が嫌いな子供には、粉薬と混ぜて一緒に飲ませたり、錠剤を飲み込むのが苦手なお年寄りには、錠剤と一緒に飲むことでスムーズに薬を服用することができます。

開発のきっかけ
開発のきっかけは、開発部に席を置くひとりの社員(薬剤師)のことばでした。その社員と一緒に、介護施設に向かった藤井さんが目にしたのは、ご飯などに薬を混ぜて食べる高齢者の姿でした。のどの力が衰えた高齢者には食事に混ぜて飲んでもらうしか方法がなかったのです。そんな光景を目の当たりにした藤井さんは、龍角散の技術で少しで状況を改善できるのならばと開発に着手しはじめたのです。

龍角散本社には、服薬ゼリーをつかった本人やその家族から感謝の手紙が届いています。服薬ゼリーは、累計4000万個を売る大ヒット商品となりました。

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生薬問題|国産化の取組

漢方薬は2種類以上の生薬(薬草など)を組み合わせてつくるものですが、いまそんな生薬に問題が起きています。それは、日本で使われている生薬のおよそ8割が中国からの輸入品で、しかも、世界的な健康ブームにより生薬の需要が増え、価格が高騰しているのです。

たとえば、龍角散につかわれている”甘草(かんぞう)”の価格は、過去3年間で2倍になっています。漢方や龍角散につかわれる原材料の生薬の安定供給が難しくなってきているのです。

問題解決のため、藤井さんがやってきたのは、秋田県美郷町にある甘草の試験栽培地でした。現在、藤井さんは全国の様々な自治体と連携し、生薬の安定供給のため、生薬の国産化に取り組んでいます。この取り組みは龍角散単独の事業ではなく、藤井さんが会長を務める東京生薬協会の事業として行っています。


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posted by CYL at 18:22 | カンブリア宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月17日

カンブリア宮殿|プレコフーズ社長_高波幸夫さん

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カンブリア宮殿
繁盛店が頼りにする肉のプロ集団

株式会社プレコフーズ
社長 高波幸夫さん



プレコフーズの最大の特徴は細かい要望に応じること
株式会社プレコフーズは、新鮮でおいしい肉を届ける食肉卸です。取り扱い肉は、1000種類以上で、首都圏の飲食店1万7000軒に配送を行っています。顧客の95%以上を占めるのが街の小さな個人店です。

プレコフーズの一番大きな特徴は、細かい要望に応じてくれるということです。肉の切り方、厚さ、味付けはもちろんのこと、焼き鳥の串打ちやチャーシューづくりまで顧客のニーズに応えています。さらに1000円以上の注文で配達料無料で、店と一緒にメニューの開発まで行っています。

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小さな飲食店にいかに貢献できるかを考える
プレコフーズの顧客のほとんどを占めるのが個人経営の街の小さな飲食店です。中には鶏のササミ3本だけを注文する店もあります。一見すると商売の効率が悪いように見えますが、それを補う戦略がプレコフーズにはあります。そして、何よりも小さなお店を大切にする原点は、高波さんの両親が営んでいた街の鶏肉屋にあります。

ごく少量の配達でも赤字にならない「面の配達」
たとえば新橋にあるプレコフーズの顧客は100軒以上です。その密集度はまさに”面”のようになっています。配送先が密集すればするほど配送効率が上がるため、プレコフーズの営業マンは、すでに顧客がたくさんいるエリアに営業をかけ、新規顧客を増やし、点在する店の隙間を埋めるように”面”をつくっていくのです。

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小さな飲食店を大切にする原点

高波さんの原点は、両親が切り盛りしていた小さな鶏肉屋でした。東京品川にある戸越銀座商店街の鳥利商店で1階が店舗、2階が住居という環境で小さな頃から両親が小売をする姿を見てきました。

商店街に登場したスーパーで売り上げ激減
1978年、高波さんは20歳のときにアメリカへ留学し、25歳のときに帰国し家業を手伝うようになりました。その数年後、高波家に転機が訪れました。商店街にスーパーができたことで、1日12万から13万売れていた売り上げが、最終的には1万8000円になってしまったのです。

飲食店向けの取引を増やすため飛び込み営業
そこで高波さんは、それまで細々とやっていた飲食店向けの取引を増やせないかと飛び込み営業に出かけたのです。個人店の店主たちが取引の条件としてあげたのが、大手の卸業者では絶対に応じない肉の切り方など細かな要望でした。高波さんは手間のかかる要望に応じ、一軒一軒取引先を増やしていきました。

高波さんを支える母シズ子さんの教え
そんな対応の裏には鶏肉屋の店先に立ち続けた母シズ子さんの教えがありました。「商いは”飽きない”だよ」商売とはどんな小さな取引の相手でも”飽きない”でコツコツと続けるというものでした。

配達ではなくルートセールス
配達スタッフはすべて正社員として採用されています。当然仕事に対する責任感も強くなります。そして、単に配達をするだけでなくお客の要望に合わせてオススメの食材のセールスも行っています。そのため、配送マンではなく、ルートセールスマンとなっているのです。

プレコフーズでは、5年前から配送マンからルートセールスマンと呼び名を変更しました。配送だけならそれで終わりだが、お客とコミュニケーションをとることで、お客が定着し、さらに売り上げが上がると高波さんは考えています。そこには高波さんの両親切り盛りしてきた商店街の鶏肉屋さんの精神”お客とのコミュニケーションなくして信頼関係は生まれない”が流れています。

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新たな3つの取り組み

オリジナルブランド肉の開発
プレコフーズが新たに取り組んでいることが3つあります。そのひとつが、農家と組んで行うオリジナルブランド肉の開発です。安くよい鶏肉を飲食店に納品することで、飲食店が顧客を囲い込んでいけるように手伝うことが目的です。

野菜と魚の配送
そして2つ目は、野菜と魚の配送です。生鮮3品を鮮度よく安全な商品を届ける食品卸は世の中にありません。それは、野菜や鮮魚ではそれぞれ独自のルールがあり、さらに3つの配送体制を整えることが容易ではないためです。それを実現すべく、高波さんは4年前大田市場の卸業者を買収し野菜を売買できる権利を取得し、さらに2014年には、築地市場の仲卸「嘉徳」を買収し、魚を買い付ける権利を獲得しました。

飲食店の出店
そして3つ目の取り組みは、飲食店の出店です。その目的は、飲食店の大変さやノウハウを蓄積し、お客にフィードバックしていくというもので、”小さな飲食店にいかに貢献できるか”という会社の思いがそこにはあります。


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My Opinion
高波さんのビジネスは、一見関係がなさそうな鉄道やバスビジネスに似ているように感じました。以前のカンブリア宮殿で放送されたイーグルバス社長の谷島賢さんは、街が活気づくことでバスの利用者増えることを知っていました。また東急電鉄社長の野本弘文さんは、沿線に魅力的な街を作ることで鉄道の利用客を増やすことを考えていました。

プレコフーズの高波さんは、顧客の店が繁盛することで売上が上がると考えているように思えました。だからこそ、細かなニーズに応え、一緒にメニュー開発をしたり、オリジナルブランド鶏を開発したり、すべては顧客のお店が繁盛するために行っていることなのです。


posted by CYL at 11:17 | カンブリア宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする