2015年06月12日

カンブリア宮殿|田舎に日本の未来SP第2弾


カンブリア宮殿
田舎に日本の未来SP第2弾



地方を”元気”にする若手経営者
エイトワン社長 大藪崇さん(35)



人気の宿「道後やや」
楽天トラベルでは、全国の優秀な宿やホテルを表彰しています。そんな数ある旅館の中で四国に4年連続選ばれた宿が愛媛県松山市の道後温泉にありました。「道後やや」です。しかし、この宿には肝心の温泉がありません。さらに部屋もビジネスホテル並にこじんまりしていて、部屋にはシャワーしかありません。一体なぜ人気なのでしょうか?

人気のワケ|愛媛づくし
ホテルのすぐ近くには道後温泉本館があります。「道後やや」は外湯を楽しむ宿になっています。浴衣の柄は愛媛名物のみかんをデザインし女性に人気があります。そして温泉で使うタオルは高級タオルとして有名な今治タオル を8種類の中から自由に選べるます。浴衣で商店街を歩くのも演出のひとつになっています。温泉に入ってゆっくり休んだ翌朝の朝食には、朝取れの野菜が33種類も揃った野菜バイキング、そして愛媛みかんは12種類も揃っています。その他、朝食のおかずもほとんど愛媛産を使用しています。まさに愛媛づくしの宿、それが4年連続で賞を獲得する宿の魅力になっています。

そんな「道後やや」を運営するのがエイトワン社長 大藪崇さん(35)です。地方を”元気”にする若手経営者としていま注目を集めています。

逆転の発想が人気に
ベンチャー企業を経営している大藪さんは2010年に「道後やや」をオープンしました。しかし、計画段階で大きな問題に直面しました。新参者は旅館組合に入ることができずに温泉を引くことができなかったというのです。そこで、大藪さんは温泉がないならないでおもしろいのではないかと考えました。温泉のかわりとことん愛媛を実感できるように工夫したのです。「愛媛が持っているものをどうしたらお客が喜ぶかたちで提供できるかを常に考えていた。」と大藪さんは語ります。


大藪流|地方を元気にする極意


大藪流地方を元気にする極意.jpg


その1|地元のいいものに”ひと工夫”
大藪さんは愛媛を拠点にホテル以外にもタオル、みかん、陶磁器、飲食店、農園など10以上の事業を展開しています。東京二子玉川の商業施設「二子玉川ライズ」に大藪さんが出店したがの、今治タオル専門店「伊織」です。女性客を中心に賑わっています。基本的にタオルは顔や体を拭くものですが、そんなタオルの概念を大藪さんは変えました。肌触りのよい今治タオルなら赤ちゃんにぴったりということでベビー用品として洋服やぬいぐるみの素材として利用されています。


その2|産地にもメリット
愛媛県今治市にある七福タオルは「伊織」と5年前から取引をはじめて、売り上げ5割増、従業員は8割増となっています。「雇用が増えて地域にお金が循環するというのは自分たちが一番やりたいこと、売る量を増やして一緒に大きくなっていきたい」と大藪さんは語ります。

その3|小さなアイデアでも出し続ける
大藪さんの会社は愛媛県松山市の住宅街にあります。エイトワンは社員90人、年商11億円の会社です。どんな風に経営をしているのか経営会議をのぞいてみるとホテルや飲食店などの事業責任者の話を大藪さんはほとんど意見をいわず聞き役に徹しています。任せた以上はあまり口を出さないというのが大藪流経営方法とのこと。おもむろに口を開いた大藪さんから出たのは「オーガニックの爪楊枝はよくないですか?」というアイデアでした。どんなに小さなアイデアでもアイデアを出し続けるのが大藪さんの役割となっています。


その4|職人との信頼関係
いつもビジネスのタネを探しているという大藪さんが向かったのは、松山から車で30分の愛媛県砥部町でした。砥部町は砥部焼という焼き物の町として有名です。砥部焼といえば昔ながらの唐草模様が特徴ですが、伝統の柄にこだわるあまり若い人を取り込めずにいたのです。大藪さんはそんな砥部焼を盛り立てようと考えていたのです。

5年以上のわたり通い続けて信用を得た大藪さん。その上でこれまでにない砥部焼の製作を持ちかけました。従来の唐草模様ではなく若者受けしそうなデザインを提案しました。大藪さんの提案を引き受けた職人さんは「大藪さんだからやろうと思った、彼が素敵だから」と語ります。大藪さんは「地方には素晴らしいものはすでにあるので、人とお金をうまく活用すればみるみる化けていって世の中に喜ばれるものを生み出せる」と語ります。


そして大藪さんが大切にするのは「伝統と革新」です。伝統を大切にしながら形や見せ方を変えてよりよくするチャレンジすることで、元が素晴らしいのでちょっと変えるだけで広がりが出てくるといいます。


大藪さんの経営者人生の原点

大藪さんは1979年広島県福山市生まれで高校時代まで福山市で過ごしていました。1998年に愛媛大学に入学しましたが、大学にはほとんどいかなかったといいます。本人曰くダメ人間だったそうです。そんな学生時代に唯一真剣に取り組んだのがパチンコ(パチスロ)でした。毎日通って分析し、半年留年したが1000万円を稼いだといいます。

大学卒業後は実質ニートとなり貯金を崩して生活をしていました。その頃、生活のために没頭したのが株取引でした。将来成長しそうな企業を徹底的に分析し、35万円を15億円にしたというから驚きです。そして、15億円を元手に不動産に進出し、ビルやアパートを取得し安定した家賃収入を得ることに成功しました。その時芽生えた感情が、自分だけの満足のためにお金を使うのではなく、お金を使ってもっと世の中がよくなることをやりたいと考えるようになったといいます。

愛媛のピンチを救いたい
道後温泉本館が2017年から改修工事を行うため、その間入浴客が最大4割減るという試算もある愛媛のピンチを知った大藪さん。そんな折、不動産関係の知り合いからある旅館の経営を引き継がないかという話があったのです。

その旅館は、道後温泉本館のすぐ脇にある道後「夢蔵」でした。大藪さんは「夢蔵」を魅力ある宿に変えて愛媛を活気づけようと考え、2008年に旅館を買い取りました。外部から優秀なスタッフを招き改革に取り組みましたが客足は一向に戻ることはありませんでした。さらに追い討ちをかけるように厨房スタッフが1年でほぼ全員辞めてしまったのです。

当時、料理は東京から招いた著名な料理人にメニューづくりを一任していました。地元の料理人はいわれたままに作るだけ、そして使うのは全国から取り寄せた高級食材でした。そこに愛媛らしさは微塵もありませんでした。

大藪さんは愛媛を盛り上げたいという思いと自分が行っている経営方法の矛盾に気がつきました。そして、東京の料理人との契約を打ち切り、食材はすべて愛媛産を使うことを従業員の前で宣言したのです。さらにメニューは愛媛を一番よく知っている従業員に任せました。そんな大藪さんの改革は客室にも及びました。お風呂には砥部焼のタイルを使用した他、すべて愛媛産のものにしたのです。すると客足は戻り、スタッフの意識もがらりと変わりました。

地方でビジネスを成功させるには”地元の人々のやる気を出せる環境をつくること”というのが大藪さんがたどり着いた答えでした。そして現在でもその時の経験が経営の軸となっています。経営者として日々判断を迫れれる大藪さんですが、判断の基準、それは”スタッフのモチベーションが上がってやる気が出る方を選ぶ”ということです。

地方でビジネスを成功させるには.jpg


大藪流|経営判断の基準.jpg


県外に進出
香川県東かがわ市は国内シェア9割を誇る手袋の街です。各会社が工場を海外に移したために生産量の8割が海外工場で生産されています。現在は産地としての機能を失いつつあり、技術者が国内からいなくなっていました。技術を教える人々は海外へ出て行ってしまったからです。このままでは産業が東かがわ市からなくなってしまうと感じた大藪さんは、産業をなんとか残せないかと考えていたのです。

大藪さんは日本全国で愛媛と同じようなことで悩んでいる地域があることがだんだんわかってきたといいます。愛媛で培ったノウハウを全国で活用できるのではないかと考え、東かがわ市の手袋メーカーに協力を願い出たのです。大藪さんは、今治タオルと同じように手袋にちょっとした工夫を加えて売り出すことを考えていました。

香川にまつわる伝統的なデザインをモダンにアレンジした手袋を考案しました。複雑なデザインの試作を請け負った職人さんは、なかなかうまくいかずに手こずっていましたが、そんな機会を得たことは幸せだと語ります。

そして、大藪さんは手袋は冬しか売れないという常識を覆す秘策を用意していました。冬の防寒具から美容にという戦略でシルクの手袋を用意しました。手を洗うだけで保湿ができるハンドソープで手を洗ってシルクの手袋をつけて寝ると保湿効果が高まり、手が綺麗になるという仕掛けです。使い方を提案することで年中売れる商品へと変えてしまいました。


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2015年06月05日

「カンブリア宮殿」田舎に日本の未来SP第一弾 株式会社吉田ふるさと村

カンブリア宮殿
田舎に日本の未来SP第一弾
地元愛で人口減少に挑め

その2 
株式会社吉田ふるさと村
社長 高岡裕司さん



住民による出資会社「住民株式会社」
島根県雲南市吉田町は、人口1800人でかつては製鉄で栄えた街でした。平成の大合併の前は吉田村でした。株式会社吉田ふるさと村の高岡さんは、吉田町の生まれで東京の大学を卒業後、広島県で働いていましたが、1984年26歳のときにふるさとに戻りました。

そのころ、吉田町では仕事がなく多くの村民が仕事を求めて都会へ出て行きました。村の人口は30年で4割減少していました。
消滅の危機を感じた高岡さんは、仕事をつくって村の消滅を食い止めようと考えました。そこで1口5万円の出資を呼びかけために村の全世帯に趣意書を配り出資を募りました。高岡さんに賛同した101人の村民が出資をし、2750万円が集まりました。

自治体の援助は一切受けない
1985年、株式会社吉田ふるさと村は6人からスタートしました。株式会社吉田ふるさと村が当初から宣言したことがあります。赤字が出ても自治体には頼らずに自立してやっていくということです。最初は、地元のもちや椎茸を売ることからはじめて売り上げを上げることで必死だったと高岡社長は語ります。

そして経営を安定させる転機となる一つのヒット商品が生まれました。それが、卵かけ御飯専用のしょうゆ「おたまはん」でした。開発のきっかけは養鶏業者から卵にあう調味料をつくってほしいという依頼でした。作っては試作を繰り返し、卵かけ御飯を何杯も食べて行き着いた味だと高岡さんは語ります。

地域一番の雇用先になった
その後、食品販売のほかに日帰り温泉施設 観光、バス、水道、飲食店、道の駅、原料生産など8つの事業を行うようになった株式会社吉田ふるさと村の年間の売り上げは約4億円にもなります。さらに当初の目標であった雇用の創出では、66人の従業員を抱え地域一番の雇用先へと成長をしました。「子孫にきちっと渡していけるものが守れるか、作り出せるかが大きな課題」と高岡社長は語ります。





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「カンブリア宮殿」田舎に日本の未来SP第一弾 夕張市長 鈴木直道さん(34)

カンブリア宮殿
田舎に日本の未来SP第一弾
地元愛で人口減少に挑め


その1 夕張市長 鈴木直道さん(34)


課題先進国の日本。少子高齢化が進むなかで人口減少が問題となっています。先月、豊島区の区役所が新しくなりました。土日祝日も利用でき画期的なサービスに加え、その特徴的な建物が注目を集めました。区役所+マンションがひとつになった建物は誰が呼んだか”クヤクション”と呼ばれています。

豊島区にある池袋は賃貸で人気を集める街のひとつですが、そんな豊島区に衝撃が走ったのは民間の調査会社が調べた2040年に消滅するかもしれない都市「消滅可能性都市」に豊島区が含まれていたことでした。

「消滅可能性都市」は全国896も存在します。豊島区をはじめ多くの都市が人口減少に歯止めをかけようと取り組みが行われています。


<北海道夕張市の取り組み>

夕張市の人口は1960年代には12万人に迫るピークに達し以後年々減少を続け、いまでは1万人を割っています。人が減ると商店が減り、さらに人口が減るという悪循環が起こっています。さらに高齢化率が48%と非常に高いのです。

問題点 公営住宅の維持費は年間約2億円
かつて高倉健さん主演で公開された映画「幸せの黄色いハンカチ」の舞台になったのが夕張市でした。夕張市はかつて北海道最大の炭鉱の街として栄えていました。石油転換で炭鉱が閉山し、炭鉱夫が暮らしていた家を市営住宅として市が引き継ぎました。その数は3700戸にのぼりますが、現在の空き家率は40%となっています。市営住宅の維持管理費に市が負担するコストは年間1億9千万円にもなります。

解決策 コンパクトシティー計画
管理維持コストを削減して効率化を図るために計画されたのが「コンパクトシティー計画」です。現在、各地区に分散している市営住宅を20年かけて市の中心に集約し、そこに学校や病院、商業施施設をつくるという計画です。夕張市は住宅の維持管理費削減が可能になり、市民は生活が便利になると一挙両得のようにみえますが問題は住人の引越しにあります。

夕張市長 鈴木直道さん(34)
コンパクトシティー計画の中心を担うのは夕張市長 鈴木直道さん(34)です。鈴木市長はもともと東京都の職員でした。鈴木市長は財政破綻した夕張市に派遣されました。派遣されて気がついたのは、市民の市役所に対する不信感とそれを感じた市役所職員との間に生じていた溝でした。それを解消しようと動いたのが鈴木市長でした。

鈴木市長はボランティア活動などに参加して2年2ヶ月の間、市民の中に入り込んで、市の問題を我がごととして感じたきたのです。都の職員に戻り北海道へ出張したとき、空港で待っていたのは市長選への出馬依頼でした。鈴木市長の情熱とエネルギー
、市民の声を幅広く聞く姿勢が必要だと市民から要請があったのです。鈴木さんは出馬を決心し、2011年4月、市長に当選しました。その時30歳になったばかりだった鈴木市長は全国最年少の市長となりました。

課題は引越し 住民の説得
計画開始から4年が経過し207世帯が引っ越しをしましたが、その道のりは決して平坦なものはありませんでした。鈴木市長は自ら公民館などに足を運んで住民との話し合いを行っています。呼ばれれば出向くという仕組みをつくり住民に丁寧に説明をして納得して引っ越しをしてもらうことを信条としています。

最初引っ越しに反対していたひとも2年にわたり市長と面と向かって話すようになって事情がわかったと引っ越しを決めたひともいます。

財政再建に向けた取り組み|廃校の活用
全国で問題になっている廃校の未活用問題は夕張市にもありました。それを解消するために無償で貸し出しを行っています。

夕張市立若菜中央小学校では、地元ホテルに無償で貸し出し研修宿泊施設として利用しています。そのほか市内の8つ廃校
では体育館にビニールハウスをつくってホワイトアスパラとチコリを栽培しています。

さらに、かつての校長室を厨房に改装し、となりの職員室でランチバイキングを行っています。10種類の料理に、サラダとドリンクバーがついて1000円で常連客もつきはじめました。福祉団体が運営し、障害者と健常者が一緒に働ける職場として8人の雇用を生んでいます。それ以外の空き教室は賃貸オフィスとして利用されています。

廃校を無料で貸し出すメリット
・維持管理コスト不要
・災害時に避難場所として機能
・雇用創出

廃校1校の維持管理コストは何百万になります。無償でも貸し出すことができれば維持管理コストはなくなります。そして東日本大震災のときに問題となりましたが、廃校となっても学校が避難指定場所になっており、避難した際に普段使われていないために電気がつかなかったりトイレが流れないなどの問題が生じたのです。その問題も無償で貸し出していれば災害協定を結んで 避難の際に受け入れてもらる体制をつくることができます。さらに良いのは雇用が生まれることです。




posted by CYL at 14:37 | カンブリア宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年05月30日

「カンブリア宮殿」ねぎしフードサービス社長 根岸榮治さん


「カンブリア宮殿」
ねぎしフードサービス社長 根岸榮治さん



牛タンといえば以前は居酒屋のおつまみの定番メニューのひとつでした。そんな牛タンをランチの定番メニューに変えたのがねぎしフードサービス社長 根岸榮治さんです。ねぎしフードサービスは牛タンチェーン「ねぎし」を東京を中心に34店舗を展開しています。会社の最大の戦略は「親切」、そして徹底的なボトムアップ型の企業として成功している企業のひとつです。経営計画をつくるもの店長たちという徹底ぶりです。そんなねぎしが右肩上がりの成長を遂げている秘密に迫ります。


おいしさの秘密

東京の八重洲にある地下街のランチ時、1店の前に大行列ができていました。さぞかし安くて美味しいお店と思いきや値段を見ると定食が1300円と少し高めです。並んでいるひとに話を伺うと決して毎日来ているわけではなく自分へのご褒美や2週間に一度来ているというひとが多いのです。行列ができていたのは牛タンチェーン「ねぎし」でした。

お客さんに伺うと牛タンの質を考えると1300円でも決して高くはないと語ります。ねぎしのおいしさの秘訣は、焼きと手間を惜しまない下処理にありました。焼きは社内制度で焼士(やきし)と呼ばれる認定試験に合格したスタッフが担当します。炭火の温度と焼き時間が牛タンの味を決めます。中がほんのりとピンク色なのがおいしい焼き加減になります。

また牛タンの下処理は機械で行うことが珍しくない中、ねぎしではすべて人の手で行います。筋や固い部分を丁寧に人の手で取り除いていくのです。それは機械では難しいことなのです。



最高の経営戦略は「親切」

1981年に創業したねぎしは1年に1店舗のペースで出店を続け34店舗を展開しています。根岸社長は「店舗数ではなく質の高い店をつくって地域社会に役立っていく。」と語るように、人材最優先で人が育たなければ出店をないのです。「人の成長を待って出店している。ねぎしで食事した人に「きょうは良かった」と思ってもらえるような質が高く満足してもらえる店を1軒1軒つくることが優先。その根本は人、人で始まって人で終わる」と根岸社長は語ります。

接客力

ねぎしは牛タンがおいしいというだけにとどまりません。寒そうな仕草をしたお客さんがいれば声を変えて空調の温度を調整します。そしてご飯のお代わりが自由なねぎしで、女性客にはそっと小声でご飯のおかわりを薦めます。さらに店外へ一度電話で席を外したお客さんのためにご飯とスープを温め直したりとその接客でお客さんの心をぐっと掴んでいるのです。

店内にあるアンケートはがきには意見や感想を書き入れるほか、店員さんの名前を記載する部分があります。アンケートはがきで評価された店員さんは親切賞として社内に告知されるのです。それはねぎしで働く人にとっての最高の評価となります。そのほか、月に1500通にもなるアンケートの寄せられた意見や感想は、それらすべてが社員で共有され、さらなるサービス向上に向けて活用されています。そして、私もやってみようというスタッフの活力にもつながっています。

想いあってのスキル

質の高い接客、それをねぎしでは「親切」という言葉で表します。根岸社長は「飲食業として独自性のある商品をおいしく提供するのは当然で、そこに差異を見出すことは難しい。そのため究極の企業戦略は”親切”」だと語ります。さらに「お客さんにどれだけ尽くせるか。親切=気づき、目配り、気配り、心配り。ねぎしの仕事の目的は”お客さんの喜びと満足を得ること”なので、そのためにスタッフは毎日お店に来て仕事をしている。”想い”のないスキルはお客の喜びと満足につながらない。”想い”があって初めてスキルが活きてくる。」と根岸社長は語ります。


現場の力を信じるボットムアップ経営


牛タンの命である焼き、それを支える焼士(やきし)という社内認定制度は店長たちの発想から生まれました。焼士認定試験は、店長たちが見守る中で行われます。本番さながらの注文を、焼き時間などを考慮して上手に焼き上げるかが評価されます。店長たちの厳しい評価をパスすると焼士として認定されるのです。

焼士の他にも現場から生まれた仕組みがあります。それは「クレンリネスコンテスト」です。店長同士が全店舗の清潔度を評価する仕組みです。毎月ナンバー1の店舗を決めて社員たちのモチベーションアップに貢献しています。中野店店長は「ねぎしは自分たちで考えて自分たちで動く」ということが特徴だと語ります。そして「責任も重いがやりがいが圧倒的に違う」といいます。


ボトムアップ経営にはある失敗がきっかけに

根岸社長が30歳代の頃、福島県いわき市を中心に20店舗の飲食店を経営していました。東京で流行ったお店の形態を地方で出店するという戦略でした。40歳の頃、仙台で大皿のお店を開店したときに事件が起きました。あるときお店を訪れると開店時間を過ぎているのにお店のシャッターは閉まったままだったのです。スタッフと連絡を取ろうと試みますが繋がりません。そしてのちにわかったことは根岸さんのお店の近くに開店した同じ大皿のお店に根岸さんのもとで働いていたすべてのスタッフが引き抜かれていたのです。

最初は憤りを感じていた根岸さんでしたが、自分に原因があると気がつきました。当時根岸さんにはいい店、いい会社にしたいというヴィジョンがありませんでした。ただ売上をあげればいいと考えていました。開店したときが一番売上がよく、次第に下降してゆき、最後はスタッフが去ってゆく。スタッフは単に使われていたという感覚のため、お金がもっと高いところへ流れていってしまった結果がスタッフを引き抜かれてしまった原因だと考えたのです。

失敗をきっかけに東京で一から商売をスタートした根岸社長は、その場の利益から永続的につづく店を目指し、”会社のためではなく自分たちのために働く店”を目標としたのです。それがいまのボトムアップ型の経営のはじまりでした。


経営方針も店長がたちが決める

現在、「店長SOプロジェクト」が行われています。これは全店長が5つのグループに分かれて会社のルールを作成しています。また、取引先を集めて開かれた向こう1年間の経営方針発表会では店長たちが考えた経営方針が発表されました。根岸社長は「プランの段階から参加してもらうことで、他人事から”我が事”になる。」と語ります。我が事になれば意欲的になり定着率も上がるという好循環が生まれます。

ひとつの仕組みで辛抱10年

ねぎしには、焼士やクレンリネスコンテスト、店長SOプロジェクトなどさまざま仕組みがあります。スタッフたちは、それらの仕組みを通して成長していくのです。ただし、仕組みをつくる最大の欠点は時間がかかるということです。根岸社長は「ひとつの仕組みで辛抱10年」と語ります。10年辛抱をしてきっちりと風土化をすると、その風土が人を育てるといいます。その結果が34年で34店舗という少ない数字になっているのです。

チームワーク

ねぎしのスタッフは仲がいいのが特徴です。人間関係、チームワークが店舗力につながると考えています。ねぎしのアルバイトの22%を占める中国人スタッフのために懇親会を開いて悩みを聞いたり中国人スタッフ向けの社内報を作成しています。そんな努力の甲斐あって働きやすい職場として中国人スタッフの間での口コミが広がり優秀な人材が集まるといいます。いままでなかなか日本人おスタッフと友人関係が築けなかったという中国人スタッフもねぎしでは日本人の友達ができたと喜んでいました。

さらにチームワークは社内だけにとどまりません。ねぎしにお米を提供する農家たちもチームの一員としてつながりを大切にしているのです。ねぎしで使用しているのは会津産コシヒカリです。そんな会津地方の農家を訪れて行ったのは田植え体験でした。こうして交流の場を作るように努めているのです。また、とろろの原材料となる大和芋を生産する千葉県多古町の生産者たちが後継者不足に困っているといえば、問題解決に向けて多古町の大和芋のブランド力の強化など支援に取り組んでいます。そこには単なる生産者と仕入れ先というビジネスの関係を超えた強い信頼関係があります。

My Opinion
まとめ

ねぎしが好調を収めている理由は”人”にあります。人の成長が会社の成長につながると考えているのです。そして人を育てるためには時間がかかるのですが、永続する店を目指しているからこそ、”現在バイアス”に惑わされていないのです。つまり目先の利益を追いかけるのではなくその先にある成長を見据えているのです。ひとつの仕組みに辛抱10年と言葉では簡単にいえますが、並大抵の努力では越えられない高いハードルに挑んでいるのです。それを超えて行くためにねぎしが大切にしているのが、スタッフ同士、そして生産者たちと育むチームワークなのです。




posted by CYL at 09:45 | カンブリア宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年05月22日

「カンブリア宮殿」小西美術工藝社社長デービッド・アトキンソンさん


「カンブリア宮殿」
小西美術工藝社
社長デービッド・アトキンソンさん




「見ざる、言わざる、聞かざる」に「眠り猫」といえば日光東照宮です。世界遺産としていまや世界中から観光客を集める人気観光スポットです。今年は、日光東照宮が神と祀る徳川家康公の没後400年の記念の年です。5月半ばには盛大な祭りが開催され多くの観光客が訪れました。

日光東照宮にはおよそ5000の彫刻があります。また黄金に輝く煌びやかな装飾はまさに豪華絢爛と呼ぶにふさわしい風格があります。そんな日光東照宮を300年以上にわたって美しく保ってきたのが修復に携わる職人さんたちです。

今回(2015年5月21日)のカンブリア宮殿は、そんな職人さんを束ね文化財修復の分野では最大手の小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソンさんをゲストに招き、経営の危機からの再建についてお話を伺いました。

イギリス人のアトキンソンが行った改革とは一体どんなことだったのでしょうか? 


陽明門の平成の大修理

小西美術工藝社は、文化財修復の分野では最大手で、300年以上の歴史をもつ老舗です。社員は71名、全国各地にある文化財の修復を手がけています。現在は、日光東照宮にある陽明門の大規模な修復作業を行っているため、社員の半数以上が日光に住み込みで働いています。陽明門の平成の大修理は、修復費用総額10億円で2017年完成予定です。

彩色見取り図

日光東照宮の収蔵庫に大切に保管されているのが、「明治45年の彩色見取り図」です。彩色見取り図とは、彫刻や装飾の色見本です。何十年後の修復の際に職人が使うものです。職人さんたちは見取り図に忠実に沿って修復を行っていきます。

金箔押し

漆に金箔を貼っていく作業を”金箔押し”といいます。薄い金箔を貼り柔らかい筆を使って貼り付けていきます。簡単そうに見えるのですが職人技のひとつです。金箔を貼った龍に色をつける”彩色”という作業を次に行います。色をつける塗料の原料は孔雀石と呼ばれる100g2万円の高価な原料を使用しています。その色は独特の緑色となって霊獣とされる龍を彩ります。作業を進める職人さんは「自分を出さないように作業を進めます。それは文化財であって自分の作品ではないから」と語ります。

細部に神が宿る

陽明門にある彫刻で取り外せる彫刻は工房に持ち帰り修復を行います。まずは、”かき落とし”と呼ばれる作業で、汚れや塗料を完璧に取り除いてきます。そして、樹木からとった天然塗料の漆を下地として塗っていきます。最終的に色付けの絵の具を塗るまで、実に30以上の工程を積み重ねます。

色付けが終わったあとには、数十年先の修復のために見取り図づくりを行います。作業を進める職人さんは「細かいところに神が宿るといいます。仕事が細かいほど神の領域に近づく」と語り細かな作業を続けます。


社長就任のきっかけ

アトキンソンさんは、イギリスのオクスフォード大学で日本学を専攻し、ゴールドマン・サックス証券で銀行アナリストをしていました。1990年代に日本の大手銀行の不良債権を鋭く指摘したレポートを発表し注目を集めました。

その後、42歳の時に証券会社を退職し大好きな日本にとどまりました。退職後は京都市内の町屋を買い取り1年をかけて修復し隠居暮らしを満喫していました。そんな折、先代の社長から社長を引き受けてほしいと懇願されたのがきっかけで2011年に社長に就任しました。


2011年社長就任

文化財を守る職人の世界は信じがたいものでした。経費の精算をやらない職人が多く、現場にいくら経費が使われているのかわからないため、作業が終わって赤字ということもあったといいます。もうひとつの大きな問題は後継者不足でした。若手がすぐ辞めてもそれに対して採用も育成もしていませんでした。会社はどんぶり勘定で経営は火の車で倒産の危機にありました。


<改革スタート>

後継者不足解消

後継者不足を解消するため、新入社員を毎年採用し育成することを始めました。さらに、非正規社員を正社員にすることで社員の平均年齢は10歳若返り(現在およそ37歳)後継者不足の問題は解決しました。だだ、そのしわ寄せはベテラン職人に影響を及ぼしていました。60代の職人の給料を大幅に下げたのです。

数字の導入

陽明門の工程表を見ると進捗状況が一目でわかるようになっています。以前は例えば4月末の数字が5月、6月に出て、1ヶ月後2ヶ月後に数字が出てきたときに現場はパンクということがありました。現在は、毎週末ごとに数字を追って現場を管理しています。

また、修復で使用する高価な金箔は金相場を見て購入するようにしました。以前は必要な時に必要な分だけ購入をしていましたが、現在では安くなったときにまとめ買いをしています。

どんぶり勘定の廃止

社員が、社用車を使った場合、同乗者名や車の走行距離を申告するようにしました。以前は、社用車の走行距離が1年間か半年で地球4周半という距離でしたが、現在は私用がなくなりガソリン代は半分になりました。

また全国各地で修復を行う社員のための会社の寮が全国各地にありますが、以前までは寮の家電品はもちろんシャンプーなどの日用品まで会社がその費用を負担していました。それを個人負担に変えたのです。

休暇・帰省制度の充実

アトキンソンさんが行った改革は社員を締め付けるだけのものだけではありませんでした。休暇、帰省手当の充実を図りました。制度を整えたことで結婚して子供を持つ社員が増えたのです。

改革でマイナスはない

「何をするにしても反対は出る。みんながハッピーになるわけがない。ひとつひとつの問題をどう解決するのか決めて徹底的に実行していくしかない。」とアトキンソンさんは語ります。「改革をしてマイナスはない。社員の負担は増えるがそれらはすべて自分に返ってくる。以前は昇給がなかったが、いまはある。非正規社員から正社員に。研修がなかったがいまは研修を受けることができる」

住吉大社事件

アトキンソンさんには職人の技術についての知識はありません。綺麗、美しいということを見るためには知識はない方がいいと語ります。修復作業の完了を社長が丹念にチェックします。その視点は「綺麗、美しい、神様に対して真摯に取り組んだか否か」であって職人の苦労を差し引いてチェックの目が甘くなることはありません。

完成した修復を入念に調べる訳がほかにもありました。そのきっかけとなったのが、大阪の住吉大社の修復にありました。それは、アトキンソンさんが社長就任前に会社が請け負った建物の塗料の塗り直し作業でした。修復してすぐに塗ったばかりの塗料が剥がれていたのです。しかも一箇所だけではなくあちこちで見つかったのです。修復作業の分野では最大手という驕りから職人のレベルが落ちていたのです。怒り心頭の住吉大社へアトキンソンさんは社長として何度も謝罪に通いました。その後、会社の費用負担で4ヶ月がかりで修復を行ったということがあったのです。

住吉大社の修復に携わった職人は、社長就任前の仕事にもかかわらず真摯に向き合って対応した社長の姿をみて、ちゃんとした仕事をしないと未来がないと感じたといいます。この一件はその後品質の向上につながっていきました。

一方で、なぜ会社が全額負担でやるのかという反対の声も社内にはあったといいます。文化財の仕事の分野では施した塗装が剥げてしまうことは珍しいことではなかったからです。アトキンソンさんは、反対する職人に、職人のプライドについて説きました。自分の子供を連れて住吉大社の塗装の前で「お父さんがプライドを持ってしている仕事だ」と言えるかと問うたのです。アトキンソンさんは「残してはいけないものは残してはいけない。それには塗装のやり直し以外方法はなかった」といいます。

50年後の職人への挑発

アトキンソンさんが丹念に仕上がりを調べるもうひとつの理由は、よいものを次の世代に残すというものでした。いわばそれは50年後の職人への挑発です。いいものを次世代に残せば次の世代の職人はレベルを下げる訳にはいかなくなるからです。職人魂に火をつけることになります。

文化財は人を呼ぶ

日本有数の暑さを誇る埼玉県熊谷市にある歓喜院はいま静かな観光スポットとなっています。訪れる観光客の数は年間約80万人を数えます。週末ともなれば大にぎわいです。

しかし、ほんの5年前まで歓喜院を訪れる観光客はほとんどいませんでした。建立250年の寺は建立以来一度も修復が行われず建物や彫刻の塗料は剥げ落ちボロボロだったのです。そんな歓喜院の修復に当たったのが小西美術工藝社でした。

2003年から7年かけて行われた修復の総額は13億円の大工事となりました。修復が終わると大小180の彫刻が色鮮やかに蘇りました。さらに住職も驚くことが起こりました。修復の2年後の2012年7月に国宝に指定されたのです。「きれいになったと思ったが、まさか国宝に指定されるとは思わなかった」と住職は驚きを語りました。いまでは地元でボランティアガイドが結成されて地元にも活気を呼び込んでいます。

小西美術工藝社のホームページから歓喜院の様子を360度のパノラマでご覧いただけるようになっています。

文化財は観光業の重要な資源

アトキンソンさんの母国イギリスでは、文化財の修復で観光客を呼ぶことに成功しています。ロンドンから車で2時間半、イギリス・ウスターシャー州にあるクルーム・ウスターシャは、18世紀半ばに建てられた貴族の屋敷です。

いままさに修復が行われている最中ですが、そこを訪れる観光客の姿が見受けられます。ある夫婦は1年前と比べて修復が進んでいる様子を見るのが面白いと語ります。修復工事の現場を公開していて、屋上にはカフェまで用意されています。修復工事はこれから先15年にわたって行われ、終了は2030年の予定です。総額約56億円と費用も桁外れに大きいのです。


修復のメリット
観光客が増え、修復費用として使える
現場の若い職人に技術が伝わる
何と言っても大切な文化財を失わずにすむこと

日本とイギリスの比較
文化財修理予算
日本約81億円 イギリス約500億円
文化財訪問率
日本23.5%  イギリス80%以上
観光業(対GDP比)日本2.3% イギリス6.6%


文化財こそ観光立国の切り札

観光業がGDPに占める割合は、世界平均9%に対して、日本は2.3%と平均を大きく下回っています。

アトキンソンさんはこう語ります。「観光業以上に伸びしろのある成長産業は考えられない。地方再生としては(観光業は)最高。実際にはそれほど難しくない。衛星をつくる、リニアモーターカーをつくることに比べたら難しいものではない。日本の素晴らしい文化財や自然を整備すればいい。人を呼んで泊まってもらっておいしい食事を食べてもらう。暑い夏や冬の景色を見る。高度な技術ではない。」

「世界平均の9%に持っていくだけで毎年38兆円の経済効果がある。雇用は400万人くらい増える。」


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posted by CYL at 11:33 | カンブリア宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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