2015年07月20日

夢の扉+|石川県羽咋市職員_高野誠鮮さん(59)

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夢の扉+|スーパー公務員シリーズ
石川県羽咋市職員_高野誠鮮さん(59)


地方からニッポンの農業革命


石川県羽咋市の市役所に勤務する高野さんは人口2000人の町に年間80,000万人の観光客を呼び込み、地元の農作物を世界のメディアに宣伝しました。

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無名のお米”神子原米”を有名にした
破天荒なアイデアと行動力

市内の神子原地区は、65歳以上の住人が半数近くを占める限界集落です。一方で神子原(みこはら)地区には、寒暖差のある気候と清らかな水が作り出す日本屈指の米がありました。しかし、その知名度は低く売り上げは芳しくありませんでした。

無名のお米を有名にするにはどうしたらよいか?、それは影響力の強い人がいつも食べることだと高野さんは考えました。

高野さんは、神子原という地名から芸能人やスポーツ選手とは次元の違う人物に狙いを定めました。それはなんとローマ法王(ベネディクト16世)でした。神子原は、神の子の原っぱと書きます。神の子とはキリストを意味するのです。一番の影響がある人物ということでローマ法王ということになったのです。

しかし、ローマ法王へのアプローチは容易なことではありません。高野さんが考えたローマ法王へのアプローチ方法は手紙でした。バチカン市国へ何度も手紙を書いては出し続けました。可能性が1%でもあればとにかくやってみるというのが高野さんの考えでした。手紙を書いてみようかなと思う人はいるかもしれないが、本当に書くバカはいないと高野さんは語ります。

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なんと数ヶ月後、バチカン市国の大使館から連絡があったのです。結果、神子原米を献上することに成功したのです。そのニュースは様々なメディアに取り上げられ、神子原米の名は国内外に知れ渡りました。それをきっかけに若者たちが集まり神子原地区は限界集落を脱することに成功しました。

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UFOで町おこし
高野さんが考える人が集まってくる要素があります。それは”これだけ、ここだけ、いまだけ”です。これを実践した破天荒な企画がUFOでの町おこしでした。

およそ30年前、観光客を呼ぶために何かないかと古い伝記を調べているときに高野さんが見つけたのが”麦わら帽子の形をしたものが飛んでいった”という文言でした。それを根拠にUFOで町に人を呼ぼうと考えたのです。

高野さんは、まずNASAや旧ソ連の宇宙飛行士と直接交渉し本物の宇宙船を展示した”ここだけ”の博物館を完成させました。さらにローマ法王のときと同じように手紙作戦で、当時のソ連のゴルバチョフ書記長、アメリカのレーガン大統領、イギリスのサッチャー首相に、激励のメッセージをお願いしたのです。

VIP中のVIPに手紙を出す狙いは2つあると高野さんは語ります。ひとつは返事が来るかも知れないとワクワクし、楽しく返事を待つことです。そして、もう一つは、返事が来たときにニュース性の価値があることです。そんな高野さんの努力で羽咋市はUFOの町として有名になりました。

上司の妬みによる左遷
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの高野さんに、言い渡されたのは理不尽な左遷でした。それは上司による妬みが原因でした。異動先は問題が山積する農林課でした。農林課は農業などを担当する部署で、現在交渉が行われているTPPにより、海外からの安い農作物による価格競争の脅威にさらされています。味方もなく知識もなかった高野さんですが、地方から世界と戦える農業という大胆な目標を打ち出したのです。


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自然栽培で農業を変える
何かを変えたかったら行動を変える以外に方法はないと高野さんが向かったのは青森県弘前市にあるリンゴ農家でした。その目的は、奇跡のリンゴ農家”木村秋則さん”に会うためでした。木村さんは、農薬、肥料、除草剤を一切使わない自然栽培という従来ではあり得なかった方法でリンゴ作りに成功した人物です。高野さんは、木村さんが行った自然栽培を地元の米やトマトなどで行えば、”ここだけ”の作物が生まれると考えました。さらにそれだけでなく、安心安全な農作物を求めて世界中から買い付けにやってくると考えていたのです。高野さんは木村さんに、自然栽培を多くの人に広めたいと語り、木村さんは高野さんの想いに応え、自然栽培の塾を開くこととなったのです。

農協と行政が協力
高野さんの前に立ちはばかった壁は農協でした。自然栽培を広めるためには地元の農協の協力が不可欠ですが、農協は農薬、肥料、除草剤を普及させてきた立場なのです。まさに自然栽培とは水と油の関係でしたが、高野さんは地元農協のトップである組合長に自然栽培への協力を直談判し、農協の理解を得たのです。そのお陰でいまでは農協と行政が手を組んでトマトやジャガイモをはじめ40種類の作物が自然栽培によって試験栽培されています。

雑草と共存する自然栽培
雑草は土壌を柔らかく保ち、栄養分を豊かにします。そんな考えのもと、作物と共存させるのが自然栽培のメソッドです。自然栽培は、農薬を使わない分、病気にかかりやすかったりするため、高度な細かな農法が要求されます。しかし、その難しさにやり甲斐を感じ最前線に立つのは若い世代の農家たちです。高野さんがはじめた自然栽培の塾では、現在、全国に300名の塾生を数え、確実に自然栽培は広がりを見せています。


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2015年07月13日

夢の扉+|金沢大学理工研究域准教授 牧輝弥さん(42)

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夢の扉+|
金沢大学理工研究域
准教授 牧輝弥さん(42)



春先に日本にやってくる黄砂は、砂だけでなく危険な微生物も運んできます。その微生物を見つけ出し、原因不明とされてきた様々な病気を解明したいと大気中の微生物を研究するのが金沢大学理工研究域准教授の牧輝弥さん(42)です。

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未知なる病気の原因を解き明かしたい


未知なる病気を紐解く鍵
普段、意識することなく吸い込んでいる空気の中は、病気を引き起こす微生物がいます。実は、中国大陸からやってくる黄砂によって日本にやってきている可能性があるといいます。

牧さんは、モンゴル、中国、韓国、日本の4カ国で行われている黄砂に含まれる微生物を調査する国際プロジェクトで中心的な役割を担う人物です。

これまで上空では気温や紫外線の影響でほとんどの微生物は生き残れないとされてきましたが、牧さんはそんな常識を覆してきました。

黄砂が多い日は、救急搬送が12%増えるというデータがあります。そのうち脳卒中など循環器系の疾患は21%も増加するというデータがありますが、その原因は解明されていません。

牧さんは、これまでの調査で黄砂の中から病原性の可能性がある細菌種を400以上発見してきました。

牧さんは、自身の研究を、未知なる病気を紐解く鍵と位置づけています。微生物の発生源をつきとめることで、原因微生物を特定します。そして、原因微生物を追求し、病気の患者さんを救おうというのです。


さまざま場所でサンプル採取
3月、黄砂の発生源のひとつモンゴルへ向かいました。どこまでも続く乾いた大地から舞い上がる砂塵は黄砂となって日本にやってきます。

モンゴルでは地上付近の微生物を調査しています。どんな微生物が舞い上がり、日本に飛来するのかを特定するためです。

モンゴルから戻った牧さんがいたのは富山県立山の雪の中でした。雪とともに降り積もった大気中の粒子の中に一冬分の大気中の微生物が残っているのです。思いつく限りの方法で、牧さんは大気中の微生物の謎に迫っていきます。

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研究のきっかけ
京都大学農学部で微生物を学び研究者への道を進みました。牧さんには、いつも不思議に思うことがありました。それは、微生物を繁殖される培養地を放っておくと数日後には必ず何かが生えてくることでした。

そこで大気中にある微生物を研究しようと決めた牧さんでしたが、論文は世界に数本しかないマイナー研究でした。それは、大気中には微生物はほとんどいないため、うまく検出できないと思われていたためでした。マイナー研究のため、当初は、評価されないどころか見向きもされなかったといいます。

それでも牧さんが研究を進めたのは、強い使命感からでした。微生物の研究範囲には、土の中と水の中があるのだから、大気も研究しなければならないと考えたのです。

評価されなくとも見向きもされなくとも簡単に研究をあきらめなかった牧さんが苦しいときに考えていたのは、やりたいことを信じぬくということでした。

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”自分を信じていくということですね。自分がやろうとしたことを信じていく。逆境になってくると考えがぶれてきだす。ときには方法が目的になって苦しんでいるときがある。そんな時は一番自分がやりたかったことを見直すことが大事”と牧さんは語ります。



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2015年07月06日

夢の扉+|認知症をカイコの不思議パワーで治せ

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夢の扉+
岩手大学特任教授_鈴木幸一さん(68)


認知症をカイコの不思議パワーで治せ

岩手大学特任教授の鈴木幸一さん(68)は、変わった視点から認知症に挑んでいます。鈴木さんは医学とは畑違いの農学博士です。専門はマユから生糸がとれるカイコです。カイコ研究一筋46年の鈴木さんが、老化したマウスの脳を回復させる新物質『X(エックス)物質」を見つけ出しました。カイコで認知症の改善に挑む鈴木さんの研究を追いました。

昆虫たちのメッセージを人類の道標にする
カイコ冬虫夏草

冬虫夏草とは、昆虫やその幼虫に菌が寄生して発芽するキノコの一種です。カブトムシの幼虫やトンボなどその種類は500種に及びます。漢方の生薬として高値で取引されるものもあります。鈴木さんが研究しているカイコ冬虫夏草で、カイコのさなぎに菌を植え付けてできたものです。

鈴木さんは5年前にカイコ冬虫夏草が老化したマウスの脳を修復することを発見しました。老化したマウスの脳には、グリオーシスという傷ついた神経細胞にできる、いわば”かさぶた”のようなものがあります。グリオーシスがあると、神経の伝達が悪くなってしまうのです。ところが老化したマウスにカイコ冬虫夏草を与えると、グリオーシスが消えたのです。

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鈴木さんの仮説
そこで鈴木さんは仮説を立てました。カイコ冬虫夏草に含まれる何らかの物質が脳へ運ばれると栄養細胞が増え、患部にたくさんの栄養が送られれることで、グリオーシスが消えて、神経の伝達が良くなり認知機能の改善に繋がるのではないかと考えました。

2014年9月|臨床試験
農学博士の鈴木さんには、強い味方がいました。岩手医科大学神経内科の寺山靖夫教授です。岩手県内に住むふたりの男性患者の臨床研究に密着しました。被験者は4年前のアルツハイマー型認知症と診断された92歳の男性と82歳の男性です。以前から服用している認知症の薬と合わせて、カイコ冬虫夏草の粉末を1日2回飲み始めました。

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92歳の男性は、以前まで少額の会計時に小銭を出して支払うことができませんでしたが、小銭を出せるようになったり、薬の仕分け作業という日付のついた薬を日付ごとに袋に分けていく作業の効率が上がりました。さらに男性の表情が明るくなりました。一方の82歳の男性は、奥さんが留守中にかかってきた電話を伝えることさえできませんでしたが、相手の電話番号と用件をメモするようになったといいます。

お二人を見守る家族からは、すこし手が離れた、安心して毎日が送れるという感想があり、家全体の雰囲気の改善につながったケースは、いままでにない経験だと寺山教授は語ります。

効果の裏づけ取れず
寺山教授は2年前に初期段階の臨床試験を行っていました。参加したのは9人のアルツハイマー型認知症患者です。全員認知症治療薬を服用中で9人のうち4人にカイコ冬虫夏草を飲んでもらいました。髄液を採取してアセチルコリンの量を比較しました。アセチルコリンとは脳内でつくられる神経伝達物質です。認知症の人は健常者に比べてアセチルコリンの量が減っていることがわかっています。半年後、カイコ冬虫夏草を飲んだグループの方が統計的に優位にアセチルコリンが増えていたのです。

しかし、今回の臨床試験を受けたふたりの男性のアセチルコリンの量は、減少していました。残念ながら今回のふたりの男性による臨床試験ではカイコ冬虫夏草の効果は裏付けられませんでした。

新物質発見
鈴木さんは、マウスの脳を修復したのは何だったのか、カイコ冬虫夏草に含まれる1万種類以上の物質から探すことにしました。そして3年をかけて見つけ出したのが、まだ名前のない物質「X物質」です。

X物質を使って記憶力が低下したマウスを使って実験を行います。マウスを一週間泳がせて安全地帯を記憶させます。その後安全地帯を外しその場所を覚えているかをテストします。X物質を投与したマウスは安全地帯があった場所を何度も往復しており、記憶力が回復したことがわかりました。

新発見|X物質.jpg



鈴木さんの原点|宮沢賢治
鈴木さんの研究への情熱の原点は学生時代にありました。鈴木さんは岩手大学の大先輩である詩人の宮澤賢治の生徒諸君に寄せるという詩に感銘を受けたといいます。その詩にあったのはこんな言葉でした。「新しい時代のダーウィンよ、増訂された生物学を我らに示せ」新しい時代を切り開けという若者へのエールでした。その言葉は当時の鈴木さんに頭を打たれたような知的衝撃を与えたといいます。その後、鈴木さんは一念発起して当時花形研究であったカイコの研究者の道へと進みました。

しかし、養蚕業の衰退で鈴木さんはカイコ研究の限界を感じていました。そんなとき学会で肝機能が向上するという食べるシルクに出逢いました。鈴木さんは”食品として食べる”という新たなカイコの可能性を発見し、健康に役立つカイコ研究をはじめたのです。


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夢の扉+|認知症をカイコの不思議パワーで治せ

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夢の扉+
岩手大学特任教授_鈴木幸一さん(68)


認知症をカイコの不思議パワーで治せ

岩手大学特任教授の鈴木幸一さん(68)は、変わった視点から認知症に挑んでいます。鈴木さんは医学とは畑違いの農学博士です。専門はマユから生糸がとれるカイコです。カイコ研究一筋46年の鈴木さんが、老化したマウスの脳を回復させる新物質『X(エックス)物質」を見つけ出しました。カイコで認知症の改善に挑む鈴木さんの研究を追いました。

昆虫たちのメッセージを人類の道標にする
カイコ冬虫夏草

冬虫夏草とは、昆虫やその幼虫に菌が寄生して発芽するキノコの一種です。カブトムシの幼虫やトンボなどその種類は500種に及びます。漢方の生薬として高値で取引されるものもあります。鈴木さんが研究しているカイコ冬虫夏草で、カイコのさなぎに菌を植え付けてできたものです。

鈴木さんは5年前にカイコ冬虫夏草が老化したマウスの脳を修復することを発見しました。老化したマウスの脳には、グリオーシスという傷ついた神経細胞にできる、いわば”かさぶた”のようなものがあります。グリオーシスがあると、神経の伝達が悪くなってしまうのです。ところが老化したマウスにカイコ冬虫夏草を与えると、グリオーシスが消えたのです。

カイコ冬虫夏草.jpg


鈴木さんの仮説
そこで鈴木さんは仮説を立てました。カイコ冬虫夏草に含まれる何らかの物質が脳へ運ばれると栄養細胞が増え、患部にたくさんの栄養が送られれることで、グリオーシスが消えて、神経の伝達が良くなり認知機能の改善に繋がるのではないかと考えました。

2014年9月|臨床試験
農学博士の鈴木さんには、強い味方がいました。岩手医科大学神経内科の寺山靖夫教授です。岩手県内に住むふたりの男性患者の臨床研究に密着しました。被験者は4年前のアルツハイマー型認知症と診断された92歳の男性と82歳の男性です。以前から服用している認知症の薬と合わせて、カイコ冬虫夏草の粉末を1日2回飲み始めました。

2014.9_臨床試験.jpg


92歳の男性は、以前まで少額の会計時に小銭を出して支払うことができませんでしたが、小銭を出せるようになったり、薬の仕分け作業という日付のついた薬を日付ごとに袋に分けていく作業の効率が上がりました。さらに男性の表情が明るくなりました。一方の82歳の男性は、奥さんが留守中にかかってきた電話を伝えることさえできませんでしたが、相手の電話番号と用件をメモするようになったといいます。

お二人を見守る家族からは、すこし手が離れた、安心して毎日が送れるという感想があり、家全体の雰囲気の改善につながったケースは、いままでにない経験だと寺山教授は語ります。

効果の裏づけ取れず
寺山教授は2年前に初期段階の臨床試験を行っていました。参加したのは9人のアルツハイマー型認知症患者です。全員認知症治療薬を服用中で9人のうち4人にカイコ冬虫夏草を飲んでもらいました。髄液を採取してアセチルコリンの量を比較しました。アセチルコリンとは脳内でつくられる神経伝達物質です。認知症の人は健常者に比べてアセチルコリンの量が減っていることがわかっています。半年後、カイコ冬虫夏草を飲んだグループの方が統計的に優位にアセチルコリンが増えていたのです。

しかし、今回の臨床試験を受けたふたりの男性のアセチルコリンの量は、減少していました。残念ながら今回のふたりの男性による臨床試験ではカイコ冬虫夏草の効果は裏付けられませんでした。

新物質発見
鈴木さんは、マウスの脳を修復したのは何だったのか、カイコ冬虫夏草に含まれる1万種類以上の物質から探すことにしました。そして3年をかけて見つけ出したのが、まだ名前のない物質「X物質」です。

X物質を使って記憶力が低下したマウスを使って実験を行います。マウスを一週間泳がせて安全地帯を記憶させます。その後安全地帯を外しその場所を覚えているかをテストします。X物質を投与したマウスは安全地帯があった場所を何度も往復しており、記憶力が回復したことがわかりました。

新発見|X物質.jpg



鈴木さんの原点|宮沢賢治
鈴木さんの研究への情熱の原点は学生時代にありました。鈴木さんは岩手大学の大先輩である詩人の宮澤賢治の生徒諸君に寄せるという詩に感銘を受けたといいます。その詩にあったのはこんな言葉でした。「新しい時代のダーウィンよ、増訂された生物学を我らに示せ」新しい時代を切り開けという若者へのエールでした。その言葉は当時の鈴木さんに頭を打たれたような知的衝撃を与えたといいます。その後、鈴木さんは一念発起して当時花形研究であったカイコの研究者の道へと進みました。

しかし、養蚕業の衰退で鈴木さんはカイコ研究の限界を感じていました。そんなとき学会で肝機能が向上するという食べるシルクに出逢いました。鈴木さんは”食品として食べる”という新たなカイコの可能性を発見し、健康に役立つカイコ研究をはじめたのです。


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2015年06月29日

夢の扉+|東京芸術大学大学院 山田修さん

夢の扉|東京芸術大学 山田修.jpg



夢の扉+|


謎を解け!700年前を3DCGで完全再現
東京芸術大学大学院
非常勤講師 山田修さん(41)


東京芸術大学大学院の保存修復彫刻研究室では、日本の貴重な文化遺産を未来に伝える活動が行われています。仏像の修復や復元、レプリカの制作など日本で最高水準を誇る研究機関です。

レプリカの仏像を作成する学生の横にあるパソコンには3次元コンピュータグラフィック(3DCG)がありました。こうした文化財の3Dデータの活用を推し進めているのが山田修さんです。強い探求心と卓越した3D技術を武器に文化財の復元・再現に挑んでいます。

今まで伝えられてきたものを
次の世代に伝えていく


復元プロジェクト|摩訶耶寺(まかやじ)
静岡県浜松市にある摩訶耶寺は平安時代に建立された歴史あるお寺です。若い住職によると境内の物置小屋で古い仁王像が2体偶然見つかったといいます。仁王像はお寺の仁王門の左右に安置される口を開けた阿形像(あぎょうぞう)と口を結んだ吽形像(うんぎょうぞう)の2体が一対となり境内に入るものににらみをきかせます。

そんなお寺の顔とも言える仁王像が無残な形で長年放置されていたために、風化が進み、とくに吽形像(うんぎょうぞう)は原型をとどめていないほど損傷していました。山田さんに託されたのは、2体の仁王像と仁王門の3DCGによる復元でした。果たして復元できるのでしょうか。

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パーツデータ化|3Dスキャナー
まず山田さんが行ったのがばらばらになったパーツを3Dスキャナーでデータ化することでした。2体合わせて50個近くあるパーツの形状を記録していきます。

仏像づくりは、ひとつの木から彫りだして作り出す作り方もありますが、平安時代の中頃から複数のパーツを組み合わせてつくる「寄木造」という手法が主流となりました。国宝唐招提寺「千住観音立像」も寄木造で作られており、パーツの数はなんと1000近くもあります。修復やレプリカづくりは、パーツがどのように組み合わさっているのかを理解していないとできないのです。

修復作業を進める仁王像は、平安後期から鎌倉時代に作成させたと言われています。何度か塗り直され当初の色はほとんど残っていませんでした。そして仁王像が安置されていた仁王門は、その痕跡さえもいまは残されていませんでした。

データを組み合わせる
研究室に戻った山田さんが取りかかったのは、3Dスキャナで取り込んだパーツのデータを組みあせていくことでした。わずかな”かすがい”の跡などを頼りに曲線が不自然ではないかを見ながら作業を進めていきます。そして復元には解かなければならない謎がありました。それは、風化した吽形像の顔がどんな顔だったのか、そしてどんな仁王門に安置されていたのか、仁王像にはどんな色が塗られていたのか、です。

謎1|吽形像の顔
パソコン上で、顔の原型をとどめている阿形像を反転させて吽形像の上に重ね合わせて顔を再現していきます。3DCGならではの技です。さらに、壁にぶつかったら足で情報をたぐり寄せるのが山田流で、現存する仁王像の視察に向かいました。向かったのは摩訶耶寺と同じ時代に作られた愛知県岡崎市にある瀧山寺の仁王像でした。

謎2|仁王門
消失した仁王門のヒントを探るため山田さんが向かったのは京都綾部市にあるお寺でした。鎌倉時代に建立されたという仁王門は700年の時を山中で静かに刻んできました。摩訶耶寺の仁王門と同じ時代に建てられたもので、当時、中国から伝わった建築様式「木鼻」と呼ばれる梁が柱の上から出ている様式が使われていました。摩訶耶寺の仁王門にも使われていたと考えられます。

さらに摩訶耶寺から20kmしか離れていない財賀寺へ向かいました。そこにも古い仁王門が残っていました。細かな肉感まで表現した仁王像は摩訶耶寺の仁王像と共通した作風であることがわかりました。

そして山田さんが気がついたのは仁王像が安置された位置でした。通常、仁王像は仁王門の前方に安置されているのですが、摩訶耶寺の周辺地域では仁王門の後方に安置されていました。山田さんはそれに習って仁王像を門の後方へ移すことにしました。


謎3|色
仁王像の失われた色のヒントを求めて山田さんが訪れたのは、奈良の山中にある室生寺でした。平安時代を代表する仏像で国宝にも指定されている「中尊 釈迦如来立像」の後ろにある後背と呼ばれる部分に1000年前の顔料が残されていました。顔料が何で作られていたのか、X線を当ててその成分を分析します。その結果、赤色からは水銀、白い部分が鉛であることがわかりました。そして、山田さんは、800以上の計測データと自分の目で確かめた事実をもとに本格的なCGづくりがはじめました。


お披露目
摩訶耶寺の再現プロジェクト開始から10ヶ月、いよいよ完成した3DCGのお披露目の日がやってきました。本堂にはたくさんの檀家さんが集まっていました。朽ちた仁王像の700年前の色鮮やかな姿をみた檀家さんから感嘆の声と大きな拍手がわき上がりました。そして人生初というサイン攻めのあう山田さんの姿がありました。


転機|11年前の出会い
山田さんはもともと文化財に興味があったワケではありませんでした。東京芸術大学大学院を卒業後、建築系CG制作会社に入社しましたが、その時の睡眠時間は平均4時間という過酷な労働で病院に運ばれたことも一度や二度ではありませんでした。同僚もそれは同じで倒れたり、病気になったり、心の病を抱えたりしていたといいます。そんな仕事に疑問を感じながらも忙しく働き続けていた山田さんに11年前に大きな転機が訪れました。

仕事で出入りしていた東京芸術大学大学院の藪内佐斗司教授との出逢いでした。藪内教授は奈良のゆるキャラの”せんとくん”をデザインしたことでも知られ、古い彫刻の研究や復元について研究していました。建築のCGをつくる山田さんの高い技術に惚れ込んで山田さんを新たな世界へと導いたのです。文化財の伝承という大きな夢を持った山田さんはそれから11年邁進し続けてきました。


夢の扉|東京芸大 山田修さん終わりのことば.jpg



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