2017年02月12日

がっちりマンデー 儲かる◯◯の街

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がっちりマンデー
儲かる◯◯の街



秋葉原の電気店、合羽橋の調理道具店、神田神保町の古本店などひとつの街に同じ専門店が集まる街があります。きっと儲かる秘密があるに違いありません。今回は、みんなが知ってるあの街から、意外な街まで専門店が集まる街にスポットを当てます。


布の街 日暮里
日暮里繊維街には、布のお店が90店舗軒を連ねています。もともと浅草に多かった布の店は、浅草が観光地化したことから、明治時代に法律によって日暮里に集団移動しました。以来、日暮里は布の問屋が立ち並び、仕入れに来る小売店の客で賑わうようになったのです。

しかし、手作りから既製品を買う時代へと変化したため、日暮里も徐々に錆びれていきました。ところが30年ほど前から手芸好きの主婦や服飾系の専門学校生、自分でアニメの服をつくるコスプレイヤーなどが日暮里に足を運ぶようになり、新たな客層が日暮里に活気を取り戻しました。

人気の秘密は、布の品揃えと安さです。例えば、イタリアの高級ブランド「アニオナ(AGNONA)」の生地が、1メートル5万8千円で日暮里にあるエレガンスというお店で販売されていますが、この生地を小売店で買うと18万円とのことで、日暮里繊維街の安さがわかります。

そんな布の街日暮里で人気急上昇のお店があります。「ミハマクロス」です。お客さんはなぜかミャンマーの方々ばかりです。ミャンマー人でミハマクロスを知らない人はいないというほど有名だと来店していたミャンマー人は語ります。そんな彼ら彼女たちのお目当は、日本風の柄の布です。日本風の布を使ってミャンマーの民族衣装「ロンジー」を作るといいます。

なぜミャンマーでミハマの布が有名になったかというと、もともと呉服店などに品物を卸していたミハマクロスは、あるときにお得意さんと一緒にミャンマーを訪問した際に、お土産として掛け布団の生地を持って行ったところミャンマーで大ウケだったのです。以来、ミハマの布が口コミで広がり、ミャンマー人が訪れるようになったのです。

お客さんは、生地の丈夫さ、柄と模様、鮮やかさが他のものとは違うと言います。いまでは日本に暮らすミャンマー人が里帰りをする際のお土産になっているそうです。


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おもちゃの街 蔵前
通り沿いに35件のおもちゃ問屋が並んでいます。おもちゃの街蔵前の始まりは江戸時代にさかのぼります。もともと蔵前という土地は浅草寺へお参りをする参道でした。参拝帰りのお土産品として今戸焼などの焼き物お店や、木製のおもちゃを扱うお店で賑わっていました。人形の久月や吉徳も蔵前で創業し、戦後はバンダイやエポック社が蔵前に社屋を構えました。

蔵前に集まるおもちゃ問屋の大きな特徴は、それぞれのお店が一分野の玩具に特化していることです。昔はおもちゃ全般を扱う総合問屋が主流でしたが、いまはおもちゃの種類が増え多すぎるために、ひとつの問屋では対応できないことが理由のひとつです。

例えば有限会社宮森健之商店はフィギュアに特化した専門問屋です。その取り扱いメーカーは30社以上、商品数は2万点です。また、おまつりらんどというお店には、スーパーボールなどお祭りで使用される商品が揃っています。このように扱う品物を特化することで、問屋として生き残ってきたのです。


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芝生の街 つくば
芝生の生産農家が茨城県つくば市には約2,000戸あります。全国の芝生作付け面積で茨城県のシェアは50%を超えて全国の1位に君臨しています。さらに茨城県のシェアのうち、つくばが8割を占めているといいます。

つくば市が芝生の街になったきかっけは1件の農家でした。当時、さまざまな作物を作ってみてもどれも上手くいきませんでした。

ある時、ラジオでゴルフブームが始まることを耳にしたことがきっかけで芝生を栽培することを思いつきました。野菜などに不向きな痩せた土地は、芝生づくりにぴったりだったのです。その目論見は見事に的中し、芝生は高値で販売することができたのです。その後、芝生づくりが周りの農家に広がりました。

芝生が収穫可能になるまでの期間は約1年ですが、収穫は年中可能なので出荷ができない月がないというのも儲かりの秘密です。


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posted by CYL at 09:22 | がっちりマンデー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする