2015年09月13日

カンブリア宮殿|崎陽軒社長_野並直文

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カンブリア宮殿|崎陽軒社長_野並直文



最強商品を生む究極のローカル戦略



崎陽軒の歴史=横浜名物の歴史

崎陽軒の歴史は横浜に名物をつくる格闘の歴史でもあります。1908年に横浜駅の売店として創業した崎陽軒ですが、どんな商品を扱ってもまったく売れませんでした。

その原因のひとつは横浜の立地にありました。多くの人は東京駅で弁当を買って横浜では、まだ食べている最中、一方で、大阪からやってくる人は東京駅まであとわずかな横浜で弁当を買う人がいなかったのです。さらに当時の横浜は人口50万人に満たない小さな地方都市のひとつで、目立った名産品はありませんでした。

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そこで初代社長の野並茂吉は、横浜の名物になる商品を作ろうと考えたのです。茂吉が目をつけたの中国人が住んでいた南京町の食堂で出されていたシュウマイでした。シュウマイは当時、ほとんど知られていませんでした。茂吉は中国人調理人をスカウトし、駅弁として食べやすいシュウマイの開発に乗り出しました。そして1928年に崎陽軒のシュウマイとして商品化しました。

茂吉はシュウマイを横浜名物として売り出すために大胆な戦略に打って出ました。それが横浜駅に現れた赤い服を着た容姿端麗な女性たちでした。彼女たちはシュウマイを駅のホームで手売りするシュウマイ娘でした。

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目指すは地域密着ローカルブランド

現在、社長を務める野並直文さんは、1972年に3代目として入社しました。そのとき、崎陽軒は大きな岐路に立っていました。というのは、1967年に長期保存可能な真空パックのシュウマイを発売し全国展開を視野に入れていました。このまま全国ブランドとしてシュウマイを広げていくのか、それとも地元の横浜に根ざした企業としてやっていくのか迷っていました。

結果的には、後者を野崎さんは目指すことにし、経営理念には、「ナショナルブランドは目指さず、真に優れたローカルブランドを目指す」と掲げています。その証拠に、崎陽軒のシュウマイを買っていくお客さんの多くが、夕食のおかずなど日常の品として買っていくのです。さらに横浜市民にはお弁当の食べ方にまでこだわりを持つ愛好家がたくさん存在します。シュウマイ弁当の他に、現在、崎陽軒ではブライダルや飲食店を展開する複合施設をつくり横浜市民の憩いの場を提供しています。

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支持される理由:冷めてもおいしい!

崎陽軒のシュウマイは、横浜駅周辺に14店舗あります。いま、日本で一番売れている駅弁が「シュウマイ弁当」です。横浜駅前にある崎陽軒の本社の地下には巨大な弁当工場があります。売れる側からどんどん作って売り場に届けています。

作りすぎによる廃棄を防ぐため、各店舗の売れ数と在庫数、販売状況、横浜市開催のイベント情報、気温など過去のデータに照らし合わせて需要予測を行い、生産数を調整しています。

崎陽軒のシュウマイが支持される一番の理由は、冷めてもおいしいということです。弁当の弱点を強みに変えているのです。シュウマイ弁当のメインのシュウマイが冷めてもおいしい秘密はオホーツクの海で取れる天然のホタテを乾燥させて干し貝柱にすることで甘みを凝縮され、それを豚肉に混ぜることで、冷めたときに豚肉からでる臭みを抑えています。

ご飯は、蒸気炊飯方式という蒸気で蒸して炊くというおこわと同じ特殊な炊き方をすることによってモチモチとした歯ごたえを生んでいます。さらに、弁当の容器の原料には、現在主流のプラスチックではなく、エゾマツやアカマツなど天然木を使用しています。そのため、木の容器が水分を調節することでお櫃のような役割を果たし、冷めてもご飯を美味しく食べることができるのです。


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posted by CYL at 17:45 | カンブリア宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする