2015年07月23日

NHKスペシャル|政治の模索〜第2回豊かさの分配〜

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NHKスペシャル|戦後70年ニッポンの肖像


政治の模索
第2回”豊かさの分配”その先に


いま国と地方の借金が1000兆円を超え、日本は財政再建が大きな課題となっています。かつて政治の力で豊かさを全国に行き渡らせようとした時代がありました。庶民宰相と呼ばれ、地方に道路や鉄道網を広げた田中角栄です。公共事業によって豊かさを全国に分配するシステムを確立しました。

しかし、その後政治は混迷の時代へと入っていきます。好調だった経済にも陰りが見え始め改革が迫られました。そのとき、政治が直面したのは田中が築きあげたシステムでした。豊かさの分配を進めた日本政治、その先に待っていた変革の時代を見つめます。


田中角栄|公共事業による富の分配
新潟県魚沼市はかつての田中の選挙区です。雪深い地方にも政治の力で豊かさを届けるという信念が田中を動かしていきます。田中は都市部に集中していた予算を公共事業によって地方に分配していく政策を打ち出しました。

田中が、1972年に発表した日本列島改造論は、都市と地方を鉄道や道路で結び、各地に工場を建設することで”国土の均衡ある発展”を目指すという構想でした。そして、打ち出された計画は前例のないものでした。高速道路網は、当時の総延長710キロから1万キロへと拡大し、新幹線網は730キロから9000キロ以上へと延ばす計画でした。

列島改造論を官僚が支持した背景には、確かな財源がありました。田中が、無名の時代から作り上げてきた30本を超える議員立法の半数近くは国土開発の財源に関するものでした。そのひとつが、ガソリンに税金を課し、道路開発の特定財源とする法律です。(道路整備費の財源等に関する臨時措置法(1953年))ガソリン税として徴収される特定財源は、自動車の普及とともに急増し、列島改造を推し進める原動力となっていきました。

田中の東京目白の邸宅には、全国から公共事業の誘致を求める人たちが集まり、それが権力の基盤固めに繋がっていきます。多い日には200人以上の陳情に耳を傾けました。

田中角栄|社会保障による富の分配
田中は総理大臣に就任した翌年の1973年、新たな分配政策を打ち出します。福祉元年と呼ばれる社会保障の充実です。当時、革新政党の勢力拡大を警戒した田中は、70歳以上の医療費を無料化し、さらに年金の給付水準を引き上げました。財源については税収増でまかなうとしました。その後、田中は政治と金の問題を巡り2年あまりで退陣しましたが、高度成長を背景に築き上げた分配のシステムは後の政治に引き継がれていきました。

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小泉純一郎|公共事業削減
国民の支持を背景に、田中派の流れを汲む橋本龍太郎を破ったのは小泉純一郎でした。内閣発足時の支持率は戦後最高となる81%でした。派閥からの大臣を受け付けず、民間から大臣を起用するなど従来にはない手法で政権をスタートさせました。

当時、国と地方の債務残高が600兆円を超える中、小泉がまず取り組んだのが公共事業の削減でした。田中政治の特徴であった道路でした。小泉は、日本道路公団の民営化を打ち出します。毎年決められていた3000億円の国費の投入を止めるとともに、採算の見込みがない高速道路の建設見直しを宣言しました。

道路公団の民営化には自民党内から反発の声があがります。”道路族”と呼ばれる議員たちでした。彼らの主張は、「道路は災害や防災の役割を担う復興復旧の時の命綱で、国民を暮らしを守るもの。それを民営化するということは到底できない」というものでした。

このときの世論調査では、7割の国民が道路公団の民営化を評価していました。小泉は国民の支持を得て民営化を決定しました。その結果として、田中政治の象徴であった道路への投資額は約3割削減し、公共事業全体として2兆円以上削減しました。その一方で必要な道路については国が直接関与する仕組みが新たに作られました。

小泉純一郎|医療費患者負担引き上げ
分配政策を見直す小泉のもう一つのターゲットは社会保障でした。毎年1兆円ずつ増加し、歳出全体の25%近くを占めるまでになっていました。小泉は医療費の患者負担を引き上げるなど見直しを進めます。

派閥の弱体化
さらに自民党のこれまでの政治システムを大きく壊すことになったのが、2005年の郵政選挙でした。小泉は郵政民営化法案が否決されると衆議院を解散します。法案に反対した人は公認せず、刺客と呼ばれた対立候補を次々と送り込み、選挙で大勝を治めました。こうした中で弱体化したのが、自民党政治の象徴であった派閥でした。

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政権交代|民主党
民主党政権が打ち出したのは、低成長時代に合わせた新たな分配方法でした。政治公約のマニフェストに掲げられたのは、限られた予算を組み替え、子ども手当や高校授業料の実質無料化などを実現させることでした。

”コンクリートから人”へという民主党の掲げた目標にある”人”とは、未来に向けた投資を表します。従来型の公共事業から未来志向の投資として人材などを含めた投資へ軸足を移していくべきだと考えていたのです。

課題は財源確保
新たな分配を実現するための課題となったのが、財源の確保でした。その象徴となった場所があります。群馬県長野原町で建設されていた八ッ場ダムです。現在、5年後の完成を目指し建設が進んでいます。民主党が打ち出した八ッ場ダムの建設中止は大きな壁に直面します。地元住人らが民主党政権の方針に激しく反発したのです。

高度成長期に各地で建設された巨大ダムの建設ですが、そもそもなぜ住民は建設を受け入れることになったのでしょうか。それに関わっていたのが田中角栄でした。田中は地元住民を納得させるための仕組みをつくっていました。多くの水を利用する下流の自治体が、地元住人の生活再建費を負担するというものでした。(水源地域対策特別措置法(1973年))

当時は各地でダム建設の反対運動でしたが、法律の制定後、次第に反対運動は下火になっていきました。さらに下流の自治体は、生活再建費だけでなく、莫大なダムの建設費も負担してきました。そのため400億円以上を支払ってきた東京都は激しく反発します。

結果的に民主党が分配政策の財源となるとみていた八ッ場ダムですが、その建設を止めることはできませんでした。

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暫定税率の廃止叶わず
新たな分配とともに民主党が打ち出していた政策に生活者の負担軽減があります。その一つがガソリン税などの暫定税率の廃止でした。暫定税率は、田中政権のときに、道路特定財源としてはじまった仕組みです。民主党は野党時代から暫定税率が家計を圧迫しているとして廃止を訴えてきました。

しかし、民主党は初の予算編成で2兆円もの財源不足に直面します。不足分は2兆5千億円ある暫定税率による財源に頼るしかありませんでした。マニフェストに掲げた公約の多くを断念し、民主党は、目指してきた低成長時代の新分配法は3年あまりで挫折してしまいました。


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posted by CYL at 17:23 | NHKスペシャル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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