2015年07月15日

ガイアの夜明け|それでも働き続けたい〜認知症と仕事が両立できる時代〜

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ガイアの夜明け|
それでも働き続けたい
〜認知症と仕事が両立できる時代〜



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若年性アルツハイマー認知症
元自動車のトップセールスマンの場合

丹野智文さん(41)は、元自動車販売会社のトップセールスマンでしたが、2年前に若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。若年性アルツハイマー認知症を発症したほとんどの人が仕事を失う中、丹野さんは同じ会社で現在も働いています。


仕事を支える2冊の自作ノート
丹野さんは自宅から1時間30分をかけて会社に通っています。会社は従業員500人の車の販売会社ネッツトヨタ仙台です。2年前までは営業職でしたが、いまは総務・人事業務を担当しています。


自分が抱える記憶障害のハンデを補うために様々な工夫をしています。それが自ら作った2つのノートです。ひとつは、自分がやるべきこととその手順がすべてかかれているノートです。丹野さんには基本業務は20項目ありますが、仕事の前にノートで手順を確認して仕事を進めます。

そして終えた仕事については、別のノートに事細かに記入していきます。やったかどうかを忘れてしまうため、後でチェックするためです。2つのノートを使った仕事の進め方を、いまでは同僚たちが参考にしているといいます。丹野さんには、記憶障害はあっても思考力や判断力は十分あるため仕事ができるのです


最初の異変|6年前
丹野さんが最初に異変を感じたのは6年前です。自動車のトップセールスマンだった丹野さんですが、新しいお客さんの顔と名前が覚えられなくなってしまったのです。最初は疲れやストレスが溜まっていたのかと当時の丹野さんの上司は考えていましたが、2年前にはじめて病院を訪れ、1ヶ月半をかけてあらゆる検査をした結果、アルツハイマー型認知症だとわかったのです。

職場の理解&支援
丹野さんは、会社をクビになると思っていましたが、会社の野萱和夫社長に診断結果を告げると仕事を続けるように言われたのです。社長が丹野さんに仕事を続けるよう伝えたのにはワケがありました。”病気に倒れた人が会社に戻ってきて働けるということは、自分がもしもの時も、ここで働けると思える安心感を社員が持てる”と考えていたからでした。

昼食後の仮眠|会社の配慮
いまでは、たとえ病気になっても、会社に復帰して持てる力を発揮できる会社の象徴が丹野さんです。会社側の配慮で、丹野さんには、昼食後20分から30分の仮眠を取ることが認められています。仮眠を取るのはアルツハイマー型認知症は脳を休めることが重要なためです。

新しい仕事|新人営業マンの指導
さらに会社は丹野さんの仕事の幅を広げようとしていました。自分のお客をもってメインとして担当することは難しい丹野さんですが、トップセールスマンであった丹野さんの経験を生かし、新しい営業マンの指導や相談相手を担当するようになっているのです。


休日の講演活動
休日は日本各地にでかけ講演活動を行っています。若年性認知症はおよそ4万人います。丹野さんは若年性認知症になっても働ける社会になって欲しいと訴えます。2015年1月には認知症の当事者団体の代表として、安倍総理に認知症の就労支援について訴えました。

翼の会|気兼ねなく話せる仲間
丹野さんは4人家族で高校生と中学生の娘がいます。若年性アルツハイマーと診断された当時のことを話してくれました。夜になってひとりでいると涙しか出てこなかったといいます。感じるのは不安と恐怖しかなかったといいます。奥さんは泣きながら子供たちに丹野さんの病状を告げたといいます。

そんな丹野さんがいま一番楽しみにしているのが「翼の会」という若年性認知症の当事者と家族の会です。アルツハイマーと診断され気持ちが落ち込んだときに自ら参加した会で、同じ病気の人たちは何でも気兼ねなく話させる大切な仲間です。


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介護離職問題
勤務先の理解が得られない

介護離職者数、家族の介護のために仕事を離れる人は年間約10万人にのぼります。仕事を辞めざるを得なかった理由は仕事と介護の両立が難しい職場だったこと、自分の健康状態が悪化したこと、介護に専念したかったという答えが多くあります。

仕事を続けながら介護をする人が直面する課題ですが、勤務時間・勤務日数を減らさなければならない、勤務先の上司や同僚の理解が得られないということが、仕事を続ける上で大きな課題となっています。さらに働き方を変えたことで収入が減ったというものでした。

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仕事と介護の両立|富田さんの場合

京都に住む富田秀信さん(64)は、認知症の妻(68)を仕事を続けながら20年間にわたり介護を続けています。奥さんは49歳のときに心臓病で倒れて脳に酸素がいかなかったことが原因で若年性認知症を発症しました。富田さんは3人の子供たちとともに介護をしてきました。


職場の理解&支援
富田さんは午前8時にヘルパーさんと入れ替わりに出勤します。奥さんは富田さんが作った朝食を食べます。9時になるとデイサービスから迎えがやってきます。

富田さんは自宅から1時間半かけて通勤します。勤務先は旅行会社です。大手のツアーからオリジナルツアーまで幅広く扱っています。富田さんはこの会社で自らツアーを企画、添乗し、リピーターを増やしてきました。

社員9人が集まる週1回の会議では仕事からプライベートのことまで何でも話せる会議です。富田さんはその会議で、これまで奥さんの病状を話してきました。富田さんの苦労を知った同僚たちは、富田さんが週末の添乗で家を空けるときには、家事の手伝いや買い物を手伝ったこともあるといいます。

富田さんは子供たちが独立し、ひとりで介護することになると社長の松岡さんに3時での退社を願いでました。松岡さんは、介護の問題は誰にでもあることだからと了承したといいます。

その後、他の社員たちも健康や介護など問題を抱えるようになりましたが、そんなときは他の社員に話して協力を求めるようになったといいます。そうすることで会社の中で助け合いが生まれ、いまでは協同組合のように会社を運営しています。

富田さんの給料は、基本給と自らの企画ツアーによる歩合制となっています。仕事をこなし15時に退社、そして16時過ぎに地元に帰り買い物を済ませて、自宅に戻ります。奥さんがデイサービスから戻ってくる17時までの30分で夕食をつくり奥さんお帰りを待ちます。

富田さんは「この生活がずっと続くと考えているので、この中でどういう楽しみを得ることじゃないかと思う。」「会社や地域に対してヘルプを率直に出すということから解決ができると思う」と語ります。


まとめ
将来に65歳以上の高齢者の4人にひとりが認知症およびその予備軍となると言われています。また、65歳未満の若年性認知症も増加傾向にあります。認知症になったときにどうしたら仕事を続けていくことができるのか、会社や地域の理解と協力、そして働ける仕組みづくりが今後ますます必要となってくるのかもしれません。


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posted by CYL at 12:15 | ガイアの夜明け | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする