2015年07月13日

情熱大陸|カナダの地を駆け抜けた23人”なでしこジャパン”

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情熱大陸|カナダの地を駆け抜けた23人



なでしこジャパンのカナダ女子ワールドカップでの準優勝を予想した者はそう多くありません。ワールドカップの前哨戦と言われるアルガルベカップで、1勝2敗で予選リーグ敗退という結果だったからです。一部メディアでは”世代交代に失敗”という記事が掲載されました。日本のワールドカップ前の下馬評は高くありませんでした。

戦いが始まるとなでしこジャパンは勝利を積み重ねていきました。誰かひとりが活躍するワケではなく、試合ごとにヒロインが生まれていきました。

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勝ち上がれたワケ
勝ち上がれた理由について、FWの大儀見選手はこう語ります。”個人の力では外国人選手に劣る部分がある。しかし、個人の力を23人全員でつなげていく力は他国にはない。”

1つにならないと勝てないことを知っているからピッチの外でも一体感をつくること(イベントなど)を心がけていたといいます。ワールドカップ期間中は、鮫島選手の誕生日をみんなで祝ったといいます。自然と勝つイメージしか涌いてこないことを、自然とひとりひとりが行っているチームだったといいます。

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名言クイーン|宮間あや
印象に残っている会話については、キャプテンの宮間選手が準決勝の前に語った言葉をあげました。”この舞台は特別じゃない。なぜなら今までみんな毎日特別なことをやってきたから。この準決勝という舞台も別に特別じゃなくて当たり前なんだ。だから勝てる。”

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チームは一言でいうと”万華鏡”
大儀見選手は、チームを一言で言うと?という取材スタッフの質問に「万華鏡」と応えました。個人個人の彩りが必ず輝きを放っていて、見る人によって様々な輝きが見え隠れする魅力的なチームだったと語ります。

澤穂希|日本女子サッカー第一人者
日本の女子サッカーの歴史はまだ浅く、最初の全日本選手権である第1回全日本女子サッカー選手権大会が開催されたのは1980年でした。

男子サッカーとは違い1チーム8人の25分ハーフでボールも小さなサイズのものを使用していました。1991年に開催された第1回FIFA女子ワールドカップでは、日本は最下位の12位に終わりました。

それから10年、女子サッカー先進国のアメリカに1人の渡ったのが当時22歳の澤穂希選手でした。女がサッカーをするなんてと日本では思われていた時代に、高みを目指して単身渡米したのです。レベルの高い選手たちを競い合うことで自分の力がさらに発揮できると考えていました。

澤選手はノートをつけて自分を励ましながらアメリカでの日々を重ねていました。そのノートにはこんな文言が書かれていました。「どんな道を選ぶかではなく、選んだ道でどれだけやるか」取材スタッフの大変ですねという言葉に「自分が強くなりたいという気持ちがあるから平気」とまだあどけなさが残る表情で応えている澤選手の姿がありました。

文字通りの第一人者の澤選手は、道を切り開き後輩達を導いてきました。2011年には、サッカー選手最高の栄誉「FIFA女子最優秀選手賞」を受賞しています。男子で同賞を受賞したのはあのメッシ選手です。

1年間、代表から離れていた澤選手が代表復帰はワールドカップがはじまる2ヶ月前のことでした。結果的に代表への思いが強くなったと本人は語ります。チームメイトの多くが澤選手にいまでも憧れをもって一緒に戦っているのです。

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決勝戦|アメリカ
前半の序盤での4失点、なでしこジャパンに何が起こっていたのかをDFの鮫島選手に聞くことができました。1点目のコーナーキックは日本からは予想外の低いボールでした。日本は、身長が低いため相手は高いボールを蹴ってくることが普通でした。そのため、高いボールに対応したポジションをとっていた日本守備陣に対して、経験したことのない低いボールで攻められたために失点を許してしまいました。

さらに2失点目も同様に右サイドからの低いクロスボールによる失点でした。鮫島選手によると1点目の失点により、高いボールへの対応に加え、低いボールという選択肢が増えたため、その両方を想定して守ることは難しかったといいます。

その後も立て続けに失点を重ねましたが、チーム内では誰一人あきらめているものはいなかったといいます。それはピッチに立つ選手だけではなく、ベンチの選手も同じでした。結果的には敗れましたが、アメリカから2点を奪ったのは日本だけでした。


posted by CYL at 16:27 | 情熱大陸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする