2015年06月30日

未来世紀ジパング|知られざる親日国「ハンガリー」

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未来世紀ジパング
知られざる親日国|ハンガリー



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天才国家
ノーベル賞受賞者が人口比において世界で最も多い国がハンガリーなのです。そして数々の発明品の陰にハンガリーがあります。それは、マッチ、ボールペン、炭酸水、コンピュータです。現在使われているコンピュータの99.9%は、ノイマン型となっています。また、ルービックキューブも1974年にハンガリー人のキュービックというひとが発明したものです。

ドナウの真珠
中央ヨーロッパに位置するハンガリーの首都ブダペストは、かつてハプスブルグ家が統治したオーストリア・ハンガリー帝国の中心地でした。ドナウ川の両岸に広がる歴史ある街並みは、その美しさから「ドナウの真珠」と称えられ世界遺産になっています。

「セーチェーニ鎖橋」のライトアップ

ドナウ川に架かるセーチェーニ鎖橋のライトアップ


ターミナル駅のブダペスト西駅は、エッフェル塔を設計したことで有名なギュスターヴ・エッフェルが帝国時代に設計した駅です。かつてはウィーンとブダペストをつなく鉄道が走っており、皇帝も使っていました。駅にはいまでも皇帝が使っていた貴賓室が残っています。

世界一美しいマクドナルド
そしてかつて皇后が使っていた貴賓室は、現在意外な使われ方をしています。それはマクドナ
ルドの店舗になっていました。”世界一美しいマクドナルド”といわれる店は、ハプスブルグ家最後の皇后エリザベートの貴賓室をそのまま使っています。

通貨|フォリント
マクドナルドで買い物をしてお釣りとしてもらったのが、ハンガリーの通貨「フォリント」でした。ハンガリーはEU(ヨーロッパ連合)の加盟国ですが、統一通貨のユーロを使用していません。

現地工場|日本企業
日清やブリヂストンなど現在ハンガリーに進出している日本企業は約150で、そのうちの46社がすでに現地に工場を持っています。その理由のひとつはハンガリーの地の利です。ヨーロッパの真ん中に位置するハンガリーは、輸出に好都合です。さらにハンガリーの教育水準の高さ、勤勉な労働力が比較的安く手に入ることです。そしてなんといっても親日国であることが理由に挙げられます。

ユニークな税金
ハンガリーはユニークな税金を導入したことでも話題となっています。たとえば、ポテトチップス税は、肥満防止対策として導入され、塩分の多い食品や糖分の多い清涼飲料水に課税されます。最終的には実現されませんでしたが、ネット通信1GBに対して課税するというインターネット税というものも検討されていました。国民の大反発を受けてデモが起こり結局廃案となりました。


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日本との意外な共通点


共通点1|温泉
ブダペスト大学日本学科専攻のふたりの女子大生に連れられてやってきたのは、まるで宮殿のような豪華な建物でした。季節は5月、海水浴には早すぎると思いながらも、水着に着替えたふたりとともに向かったのはプールではなく、巨大な温泉施設「セーチェ二温泉」でした。一度に2000人以上が入浴できるといいます。ハンガリーには、約1300カ所に源泉がわく世界有数の温泉大国なのです。

共通点2|お辞儀・名前
また、お店で買い物をして会計をすませると店員さんがお辞儀をしました。ハンガリーにもお辞儀の習慣があるのです。そしてその店員さんが差し出し名刺をみると、名字が先で名前が後、日本と同じ名前の順番になっています。ヨーロッパでは、ハンガリーが唯一の国です。

その理由は、ハンガリー国立アカデミーに残されていました。ハンガリー人は歴史的にアジア系の言語を使ってきたといいます。それは中央アジアにいたひとが日本に渡り日本人に、ハンガリーに移動しハンガリー人になったというのです。つまり、日本人とハンガリー人のルーツは同じということです。

1000年以上前にアジアの草原からハンガリーへやってきた「マジャール人」という人々がハンガリー人の祖先です。その証拠に騎馬民族の象徴の移動式住居「ゲル」に13世紀頃まで住んでいたといいます。そして日本ではお馴染みの馬に乗って弓を射る「流鏑馬」は、ハンガリーでは国民的な競技としてお祭りなどで披露されています。

共通点3|伝統教材そろばん
日本人の男性が段ボール箱を肩に担いて訪れたのは、ブダペスト郊外の小学校でした。日本のある伝統教材がブダペストの小学校で使われているといいます。その教材とは「そろばん」です。ハンガリーでは300以上の公立小学校でそろばん教育が取り入れられているのです。25年前の東欧自由化の際に、教育の自由化が進み、その時、日本がそろばんを紹介したことがはじまりです。もともと数学教育が盛んだったハンガリーであっという間に広がりました。

しかし、教室で使われているそろばんをみると品質がとても悪いものでした。段ボールを担いでいた男性は、日本のそろばんメーカー「ダイイチ」の宮永社長でした。ダイイチは、兵庫県で100年以上にわたりそろばんを作り続ける老舗です。日本国内のそろばん需要が減り、全盛期の年間売り上げ350万丁売れたそろばんもいまでは15万丁に落ち込んでいました。宮永社長はハンガリーの話を聞きつけて売り込みにやってきたのです。

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ベルリンの壁崩壊の陰にハンガリーあり

「ハンガリー人が、ドイツ人の「自由への意志」に翼を与え、ベルリンの壁を崩壊させたのです。」とドイツのメルケル首相が語りました。ベルリンの壁の崩壊といえば、東西冷戦の終結ですが、そのきっかけとなったのが、ハンガリーなのです。

1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊しました。それは東西冷戦の終わりを告げる歴史的瞬間でした。しかし、本当の意味で壁にヒビを入れたのはハンガリーです。


ハンガリー|民主化の波
オーストリアにほど近い小さな街、ハンガリー・ショプロンにあるのどかな公園の片隅に鉄条網があります。その場所で、ベルリンの壁の崩壊3ヶ月前にある事件が起こりました。

第2次世界大戦後、アメリカとソ連を中心とした東西冷戦に突入しました。ドイツではベルリンの壁が建設され、東ドイツの住人が西側に亡命しないように監視されていました。ところが、1989年東側諸国に民主化の波が押し寄せました。東側だったハンガリーは、いち早くオーストリアとの国境である鉄条網を撤去し始めました。

それを知った東ドイツの人々は、ハンガリーが自由化に踏み切るのではないかと一斉にハンガリーに押し寄せました。東ドイツからハンガリーを経由して西ドイツに亡命できるのではないかと考えたのです。


日本人女性|歴史の目撃者
そんな中、彼らを手助けしようと動いたひとがいました。その目撃者となったのは日本人の女性です。夫はハンガリーの映画監督でした。ハンガリーの大物政治家たちが女性宅に集まり秘密の計画を立てていました。

その計画とは「ヨーロッパピクニック計画」というものでした。ピクニックと称して、人々を国境に集めて、西側に逃がそうという計画でした。計画を知らせるために街中にポスターが貼られました。東ドイツの人にわかるようにドイツ語で書かれていました。合言葉は「鉄のカーテン」、8月19日計画決行と書かれていました。

計画当日、ショプロンの街の郊外に東ドイツからたくさんの人々が集まっていました。そして午後3時、ハンガリーが西側へ国境を解放しました。その後、ハンガリーがすべての国境を解放したため、それがベルリンの壁崩壊へと繋がっていったのです。

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東側諸国|国際分業
ソ連の支配下にあった東側諸国では、国際分業が行われていました。ソ連、東ドイツ、チェコスロバキア、ポーランド、ルーマニアでは、自動車の生産を行い、ブルガリアでは、フォークリフトをつくり、ハンガリーではダンプカーのみを製造していました。ソ連が国際分業を進めた背景には、1つの国にすべての産業を与えてしまうと経済力がつきすぎて独立してしまうため、それを防ぐ狙いがありました。

スズキが愛される訳

はじめてのマイカー
23年前にハンガリーで初めて販売された車がスズキのスウィフトでした。当時、旧共産圏で広く流通していた旧ソ連製のラーダという車を乗っていたという男性は、車は配給制で色も形も選べなかったといいます。

共産時代が終わりはじめにハンバリーに進出してきたのが日本のスズキでした。真っ赤なスズキの車を買って一家で色々なところへ出かけたといいます。スズキが、マイカーの夢を叶えてくれたのです。

庶民向けの価格
ハンガリーの国民車となったスズキの魅力は、その価格にありました。欧米のメーカーの車は200万円を超えますが、スズキなら100万円台で手に入ります。

車づくりを一から伝授
また、スズキは自由化直後の1992年には生産拠点として工場を設立しました。最初は小さな規模からはじめ徐々に大きくしていきました。25年を経てエステルゴムにあるスズキの工場は、一時ハンガリーのGDPの5%を担った巨大な工場となっていました。ここでハンガリーに一から自動車づくりを教えたといいます。



食べられる国宝

ある農場に電気柵に守られ、黒い羊の毛のような長い毛で覆われた不思議な生き物がいました。マンガリッツァ豚と呼ばれるハンガリーの固有種です。そこに訪れていたのは「しゃぶしゃぶ温野菜」というしゃぶしゃぶのチェーン店を展開する日本の大手外食チェーン「レインズインターナショナル」の社員でした。しゃぶしゃぶ温野菜では、4年前から期間限定商品としてマンガリッツァ豚を提供しています。

マンガリッツァ豚は、スペインのイベリコ豚とルーツが同じとされている貴重な豚です。デリケートで飼育が難しいため、一時は198頭まで減少した幻の豚です。ハンガリーは2004年に国会でマンガリッツァ豚を「食べられる国宝」と認定し、手厚く保護し貴重な輸出産品とすることを国策としました。

豚一頭一頭に血統証があるというマンガリッツァ豚の特徴は、体温で溶けるほどの柔らかな脂身にありました。脂身の香りと甘みは普通の豚とはまったく違うといいます。しかし、まだマンガリッツァ豚の量を確保するのは難しいといいます。食肉加工場を覗いてみるとその訳がわかりました。

マンガリッツァ豚は、野生に近いため脂身のつき方に一頭一頭ばらつきがあるのです。そのため買い付けできるのは脂身が均一な中心部のみになってしまい量の確保が難しいのです。



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posted by CYL at 16:03 | 未来世紀ジパング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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