2015年06月29日

情熱大陸|ダンサー_菅原小春さん(23)

情熱大陸|ダンサー_菅原小春さん.jpg


情熱大陸|ダンサー_菅原小春さん(23)



ダンスはひとつのアートでありスポーツ
ジュエリーブランドのPR写真撮影のイメージモデルを務める菅原さんの姿ありました。最近はダンス以外の仕事のオファーが増えたといいます。そんなダンス以外の仕事の依頼を引き受けるのもダンスをもっと知ってもらいたいという思いがあります。

菅原さんのダンスにはどこか中性的な色香が漂います。そんなダンスに世界中が注目しています。筋肉を緊張させて緩める、その連続が踊りに奥行きを持たせます。気に入った曲に自分でオリジナルの踊りをつけて踊る映像が動画サイトで話題になり、海外のワークショップ(ダンスレッスン)の誘いが次々に舞い込むようになったといいます。いまでは菅原さんがワークショップを行った国の数は、30カ国以上に及びます。旅をすることで多彩なダンスに触れ、自分の踊りに生かすのだといいます。

そのダンスは一流のアーティストからも引っ張りだこです。しかし、菅原さんは「ダンスを絶対にタレントみたいな感じにしたくない。ひとつのアートとして、ひとつのスポーツとして世の中の人に知ってもらいたい。いまは(ダンスが)アーティストを引き立たせるためのひとつの道具になってしまっている。」と複雑な心境を語ります。

ダンサー菅原小春|ダンスについて.jpg


ヘアースタイルのこだわり
東京の表参道にある行きつけの美容室に菅原さんが現れました。いまは黒髪のベリーショートが気にいっているそうですが、以前急に金髪にしたこともあるといいます。しかし、その3日後にまた黒に戻したそうです。ダンスを見せる上で、髪の動きはアクセントになります。菅原さんのダンスは激しいため、ヘアースタイルが乱れても”きまっている”というのがポイントなのです。

写真撮影|ダンサーの一人舞台?
高級セレクトショップの広告用写真撮影に呼ばれた菅原さんですが、ダンサーがモデルとして起用されるのは菅原さんがはじめてで、いつもと違う被写体を求めていたようです。撮影現場は、写真撮影というよりはひとりのダンサーの1人舞台のようでした。自ら選曲した曲にあわせてダンスを踊る小菅さんをカメラマンが撮影していくといった形でした。撮影した写真はバリエーション豊富で、いままでにみたことがないと依頼人大満足の写真となりました。

体に命を注ぐとダンスになる
見る者を虜にする菅原さんのダンスの秘訣を少しだけ語ってくれました。「私は、首が女性の命だと思っている。首に女性らしさがあるから、背筋伸ばして肩を落として、首を伸ばしているだけで、女性らしさは首から生まれると思う。日常から来ている動きがダンスになっているから、指に命を注いだら指一本だけでダンスになる。」

ダンサー_菅原小春|日常の動きがダンス.jpg


伝えたいこと
海外を飛び回るようになって日本でダンスを教える機会は少なくなりました。東京渋谷で開催された久しぶりのワークショップの定員200は、予約開始から3時間で締め切られたといいます。参加した人たちに伝えたかったのは、ダンサーは誰からの引き立て役ではなく、表現者なんだということでした。

月に1回くらいダンスを辞めたくなるときがあるといいます。それはダンスが好きすぎてダンスとぶつかり悩むからだといいます。そして悩んだ分だけ強くなれると。

ダンサー菅原小春|表現者.jpg


5年後はわからない
ノルウェーのアーティストが作るプロモーションビデオの撮影のため菅原さんは京都にいました。日本的なテイストが欲しいということで振り付けと出演を依頼されました。ノルウェーからやってきたダンサーは、菅原さんの遠距離恋愛中の恋人でした。その現場で思いがけないことばを菅原さんから聞きました。それは5年後には踊っているとは思えないということばでした。ダンサーには旬があります。菅原さんは意外に自分のことをクールに見つめていました。

ホッとできる場所
世界を飛び回る菅原さんは、一カ所に定住する生活からは遠のいています。唯一ほっとできるのが千葉県山武市にある実家でした。いまはどこか少年のような菅原さんですが、幼い頃は長い髪を切りたがらなかったといいます。そして少女漫画のヒロインのような絵を描くことが好きでした。自分の部屋の壁にはオードリーヘップバーンの写真が飾られていました。それらからもわかるように内面はとても女性的だと本人は語ります。

ダンスのきっかけ
菅原さんを活発な女の子にさせたのはモーニング娘にあこがれてはじめたダンスでした。振り付けも小学生の頃からあみだしていました。中学生になるとコンテストに参加するようになり、高校に入る頃にはダンス界ではちょっとした有名人になっていました。

自宅の居間には父親が張ってくれた大きな鏡がありました。勉強せずにダンスに熱をあげる娘を両親が咎めることはありませんでした。昼夜を問わず練習し、コンテストに出て高い評価を得る、その繰り返しの毎日の中であるとき菅原さんは、踊ることに疑問を持つようになったといいます。

そして、アメリカ・ロサンゼルスにひとりでダンス修行に行くことを決意しました。小菅さん18歳の時でした。その時の心境について、コンテストで優勝するために練習をしていたために、ダンスが楽しくなくなっていたといいます。自分を変えるためにロサンゼルスに向かったのです。アメリカで色々な自分自身を発見したから、いまの自分があると語ります。




posted by CYL at 15:22 | 情熱大陸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。