2015年06月26日

未来世紀ジパング|アジア驚異の成長国ミャンマー(5)|アウン=サン=スーチー

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未来世紀ジパング
アジア驚異の成長国ミャンマー
アウン=サン=スーチー



ミャンマーは、1962年から2011年まで軍事政権が統治していたため半世紀近く閉ざされてきました。

ミャンマー|アウン=サン=スーチー.jpg


アウン=サン=スーチーさんのいま

ミャンマーが軍事政権下にあった時代、民主化のリーダーであったのがアウン=サン=スーチーさんです。スーチーさんは軍事政権によって約15年間の自宅軟禁を強いられていました。

親友|自宅訪問
イギリス統治時代の風景がいまに残るヤンゴンに、スーチさんともっとも親しい日本人の宮下夏生さんがいました。大学時代にスーチーさんと出会い、いまも親友の中だといいます。ヤンゴン市内にあるスーチーさんの自宅はかつて軍が24時間監視し立ち入ることができませんでした。スーチーさんは生まれ育った家で、軍事政権によって長く軟禁されていました。宮下さんがスーチーさんに会うのは3ヶ月ぶりだといいます。通された部屋には、スーチーさんの父親アウン・サン将軍の肖像画が飾られていました。建国の父といわれるアウン・サン将軍は1947年に暗殺されました。

イギリス留学|民主化のリーダー
スーチーさんには、1985年から86年に京都大学に留学経験があります。スーチーさんはイギリスのオックスフォード大学に入学し、その後オックスフォード大学の教授だったマイケル・アリスさんと結婚し、二人の息子に恵まれました。宮下さんとはオックスフォード大学で知り合ったといいます。1988年、ミャンマーで広がった学生による民主化運動、そのリーダーとして白羽の矢が立ったのがスーチーさんでした。イギリスから戻ったスーチーさんが目にしたのは、街で銃をもった兵士たちと学生を弾圧する軍事政権でした。

ノーベル平和賞
スーチーさんが行った初演説(パゴダ前の集会(1988年8月))には50万人の人が集まりました。家族と離れ民主化の道を選んだスーチーさんに待ち構えていたのは、軍事政権による14年9ヶ月(1989-2010)にわたる自宅軟禁でした。1991年にはノーベル平和賞を受賞しましたが、スーチーさんは出国を許されず、二人の息子が授賞式に出席しました。夫は2000年にイギリスで他界し最後を看取ることはできませんでした。

激動の半生を支えた信念
「自分の人生に失望しそうになったり、自分に価値がないと感じた時には、他の人々に何をしてあげられるのか考えることが大事です。自分が手を差し伸べることで人生が大きく変わる人もいるのです。それが自分自身の生きる目標にもつながるはずです。」とスーチーさんは語ります。

激動の半生を支えた信念|アウン=サン=スーチー.jpg


移動図書館
解放が決まってスーチーさんを訪れた宮下さんが欲しいもの尋ねたところ、スーチーさんから返ってきたのは意外にも「移動図書館」という言葉でした。宮下さんはそれを実現すべく奔走し、日本企業が応じてくれたことにより現在移動図書館は実現しています。ミャンマーの子供達は、移動図書館の車がやってくるのを楽しみに待っています。本を手にした子供は「いままで知らなかったことがわかって嬉しい」と目を輝かせて笑顔で語ります。

スーチーさんは「若者にとって読書はとても大切です。私自身、人生の困難を乗り越えられたのも読書が大きな助けになったからです。国民がこれまで読書をしなかったのは、良質な本がなかったからです。」と語ります。


移動図書館|アウン=サン=スーチー.jpg


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posted by CYL at 12:05 | 未来世紀ジパング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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