2015年06月26日

未来世紀ジパング|アジア驚異の成長国ミャンマー(4)|日本兵士の戦争秘話

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未来世紀ジパング
アジア驚異の成長国ミャンマー
日本兵士の戦争秘話



ミャンマーは、1962年から2011年まで軍事政権が統治していたため半世紀近く閉ざされてきました。70年の時を経て明らかになった日本兵士の戦争秘話がありました。

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70年の時を経て
日本兵士の戦争秘話


ミャンマーの旧国名ビルマといえば、1948年初版の「ビルマの竪琴」を思い出します。ビルマで終戦を迎え、僧侶となった水島上等兵の物語です。ミャンマー中部の古都バガンには、1000年以上前に建てられたという仏塔がそのまま残っています。カンボジアのアンコールワットと並び世界3大仏教遺跡と称されていますが、世界遺産にも登録されていません。

そこにやってきた日本人の一行がいましたが、目的は観光ではありませんでした。戦没者の慰霊碑へやってきたのです。70年前の戦争で亡くなった多くの日本人の遺骨がミャンマーにいまなお残されています。渡航ビザなど外国人の受け入れが体制が整ったことでようやく訪れることができたのです。

インパール作戦|多くの犠牲者
ミャンマーは、1944年に行われた日本軍と連合国軍の戦い「インパール作戦」の激戦地でした。のちにインパール作戦は史上最悪の戦いといわれる戦いでした。山岳地帯で武器・食料の補給路がなく撤退も許されない玉砕戦だったからです。飢えや疫病でなくなった日本兵は約3万人にのぼります。

涅槃像を寄付
インパール作戦の激戦地のひとつミッチーナにある寺院に入るとまだ新しい巨大な涅槃像がありました。横になったお釈迦様の像の前では地元の人や遠くからやってきたという人々が祈りを捧げていました。像には日本人の坂口睦さんの名前が刻まれていました。坂口さんは2013年に90歳を過ぎて亡くなりましたが、長年をかけて日本で11億円を集めて涅槃像を作ってくれたといいます。地元の人は、坂口さんは忘れないように銅像を作りました。

退却命令|救われた命
インパール作戦で、玉砕命令を拒否して部隊を退却させた人物がいました。旧陸軍歩兵第114連隊の水上源蔵少将でした。その決断が、坂口さんをはじめ3000人の命を救いました。しかし、水上少将は責任を取り自決しました。戦後、坂口さんはその恩に報いようと私財を投げ打ち募金活動に奔走し、2000年、軍事政権下のミャンマーを訪れ、悲願だった涅槃像を寄贈しました。「被害を受けたミャンマー国民へのいささかの償いとして涅槃像を建立した」と碑には坂口さんの思いが刻まれていました。

そしてミッチーナには古くから語り継がれている逸話がありました。1944年8月4日、大きなイラワジ川の中州で退却命令を下した水上少将が一人自決したといいます。地元の人は、70年の時を経てそれが本当であったことがわかったといいます。


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posted by CYL at 11:56 | 未来世紀ジパング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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